出典:EPGの番組情報

歴史探偵「写真で迫る真珠湾攻撃のリアル 若者たちは何を感じたのか?」[解][字]

1941年12月8日、真珠湾攻撃に関わった若者たちは何を感じたのか?写真のカラー化で心の内を探る。さらに日本人捕虜第1号を救ったハワイの謎の老人の正体に迫る。

番組内容
80年前のその時が、白黒写真のカラー化でリアルによみがえる!真珠湾へ向かう直前に撮られたパイロットたちの宴会写真。満面の笑みの裏にはどんな思いがあったのか?仲間で撮った集合写真。なぜ1人だけ白く塗りつぶされてしまったのか?さらに、日本人捕虜第1号として絶望のどん底に落ちた若者の心に希望の光をともした謎の老人の正体を現地ハワイで探る。貴重な写真の数々をひもときながら若者たちの思いを追体験する。
出演者
【出演】佐藤二朗,【解説】多摩大学客員教授・歴史研究家…河合敦,【司会】渡邊佐和子,【リポーター】青井実

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
趣味/教育 – コンピュータ・TVゲーム
ドラマ – 時代劇

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  19. 戦争
  20. 気持

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

NHK
created by Rinker
エンスカイ(ENSKY)

こんばんは 佐藤二朗です。

今回の「歴史探偵」は

80年前の今日
12月8日に起きた

真珠湾攻撃に迫ります。

当時の白黒の映像をイメージして

こんな色合いで 番組を始めてみました。

令和に撮影された
映像のはずなのに

白黒で見ると どこか遠い時代の
昔話のように感じませんか?

今日の調査は
そこがポイントなんです。

カギとなるのは…

「カラー」です。

あの日 南の島の楽園は
炎に包まれました。

その時 人々は
何を見 何を感じたのか。

当時の
貴重な写真の数々を…

80年前 若者たちが目にした光景を

リアルに よみがえらせます。

真珠湾攻撃をめぐる写真から
浮かび上がる

若者たちの心に秘められた
思いとは…。

「歴史探偵」 調査開始です。

♬~

そもそも 真珠湾攻撃というのは

今から ちょうど80年前の
昭和16年の12月8日に…。

ちょうど まさに 今日12月8日だから
ちょうど 80年前の今日。

80年前の今日
日本軍によって起こされた

ハワイ 真珠湾への奇襲攻撃ですね。

まあ 80年も前のことですから

私たち
もちろん 見たこともありませんし

体験者の方から
話を聞こうとしても

なかなか そういう機会にも
恵まれないということもありまして…

なるほど。
さあ ではですね

早速 写真を
見ていきたいと思いますが

まず こちらです。 よいしょ。

はい。 こちらはですね
真珠湾攻撃の当日に

ハワイで撮られた1枚でして
日本の攻撃によって

真珠湾に停泊していました
これ アメリカの軍艦が

爆発した瞬間なんです。

白黒でも この迫力ですけれども

これを カラー化してみますと
こちらです。

うわっ! うわ~。
このようになるんですね。

いや~…。

この赤々とした この爆発の色ですとか

立ち上る黒い煙の色

このコントラストによって
攻撃の激しさが

よく分かるというふうになりますよね。

いずれにしても 同じ絵なんだけど

やっぱり どこかひと事っていうか 何か。

モノクロの方は ちょっと 何か 距離が
我々と遠い感じがするけど

一気に 何か臨場感が
やはり迫ってきますね カラーにすると。

少し 何か 立体感が伝わってきますね。

最初はですね まず
80年前のあの日を カラー化しまして

より深く調査してきました はい。

やって来たのは 東京大学。

写真を カラー化することで
一体 どんなことが分かるのか。

専門家を訪ねました。

こんにちは
「歴史探偵」の青井と申します。

よろしくお願いします。
渡邉です。

戦前や戦時下の白黒写真を
カラー化する

共同プロジェクトを
進めています。

これまでに
カラー化した写真は

2, 000枚以上に上ります。

早速 真珠湾攻撃を写した写真を
見せてもらうことに。

こちらは 日本の攻撃で
沈没した

アメリカの戦艦
アリゾナ。

これを
カラー化すると…。

ハワイの美しい空と海。

黒焦げになった戦艦が
無残に沈んでいます。

海がきれいだから
余計 無残さが際立つよね。

確かに そうですね。

これは でも多分…

スマートフォンで撮って…。
つまり…

じゃあ そういう意味で この若い世代…

(渡邉)そうですね。

なかでも 渡邉さんが注目するのが

真珠湾攻撃当日の
ハワイの一般市民を写した写真です。

(渡邉)これは カラー化すると…。

お~!

(渡邉)ハワイなんで
真冬っていうのはないわけですね。

なので 夏の日ざしを感じさせるような
風景に変わりますね。

青々とした緑があって。

みんな そうだよなあ…。

更に こちらは

真珠湾攻撃直後に
撮影されたとされる一枚。

街のドラッグストアが
破壊された様子が

写されています。

ホースを抱え
消火活動に当たる大勢の市民。

遠巻きに見つめる人々の姿からは

えも言われぬ戸惑いが
感じられます。

80年前の この日
ハワイの人々は 何を感じたのか。

写真のカラー化で その心の内まで

リアルに伝わってくるようです。

一方…

80年前 実際に
日本軍の攻撃部隊にいた

パイロットの遺族を訪ねました。

こんにちは~。
こんにちは 「歴史探偵」の青井と申します。

島田と申します。
島田さん。

5年前 自宅で古い写真を大量に発見し

以来 戦争の歴史に
関心を持ってきました。

(島田)こちらになりますね。

「遺品」という文字も
書いてらっしゃいますね。

(島田)そうですね。

箱に収められているのは

祖母の兄 島田清守さんの遺品です。

清守さんは 二十歳の時

真珠湾攻撃で前線へ赴いた…

パイロットといえば
当時の若者にとって憧れの職業。

成績優秀な若者が
集まっていました。

え~。

島田さんの尋常小学校時代の成績表。

うわ~!
よく 取ってらしたねえ。

卒業間際の6年生の時

評価は 甲乙丙丁の中で

最も良い…

「甲」ばかりじゃないですか。

ところが…。

えっ!

目立つね 一つだけだから。

そうですか…。
(島田)そうですね。

歌唱 「乙」多いな しかし。

島田さんの遺品の中に

真珠湾攻撃の まさに その時に撮られた
航空写真が残されていました。

アメリカ軍の飛行場から
もうもうと上がる黒煙。

真珠湾攻撃に加わった者だけが
目にした

空から見た攻撃の様子です。

更には 部隊の人々が整然と並んだ
集合写真なども

残されていました。

その中で 一枚だけ
ちょっと変わった写真を見つけました。

あっ これ
この写真だけ 何か雰囲気が違います。

(島田)そうですね。 ねえ?
はい。

数ある集合写真の中で

ひときわ楽しげな この写真。

宴会の様子でしょうか?

ちょっと これは珍しい。

これ 皆さんね 笑顔というか

すごく楽しそうな表情を
見せていらっしゃるんですけど。

あ~!
いい笑顔だな しかし。

仲間たちとはしゃぎ

満面の笑みを浮かべる 清守さん。

お酒も入って みんな
すっかり できあがっています。

これがですね…

え~。

なんと これ…

…の写真だというのです。

戦地へ向かう直前
満面の笑みの若者たち。

一体 どんな気持ちだったのか。

写真のカラー化で

心の内に迫れるかもしれません。

NHKの数々の番組で
写真のカラー化を手がけてきた

伊佐早さつきさんに
協力を お願いしました。

このお写真 拝見してみて まず…

この方とか。
(伊佐早)あっ そうですね。

(伊佐早)あっ おっしゃるとおりで…。

白黒の濃淡から
本来の色を推測していきます。

健康的に日焼けした顔には
明るいオレンジ色。

あ すごい! ほんとだ!

もう瞬時に ここだけ 何かこう… ねえ?

そうそうそう いや出てきますねえ。

ほんとだねえ。
いやいや ほんとだ ほんとだ。

更に 着物も

当時 使われていたものを参考に
着色します。

うわ~ 着物なんか大変でしょ
だって これ。 模様とか…。

フフフッ そうですね…

いやいや いやいやいや。

これは… 大変だぞ。

大変 申し訳ないですけど

1週間 ちょっとお願いします。
(伊佐早)頑張ります はい。

いや~…。

今の 当時の若者の方々よりも

当然 撮られることに
慣れてないだろうから

やっぱり みんな こうなってる
イメージがあるじゃないですか。

あれが あんなにいい笑顔でね。
そうなんですよね。

で まあ 今回 カラー化して

気持ちを くみ取れないかということで
カラー化をしたんですけれども

こちらです。
ほう!

ジャン!
うわ~!

これ もう… ほんとにちょっと あの…

肌の色が入ると やっぱり
よけい 若さが 何か感じるっていうかね

カラーにくると ぐっと身近にきて。

もう 当たり前だけど 俺らの大先輩も

ねえ 現代と同じように

笑顔が似合う若者の時代が
あったんだっつって

それを すごい感じさせる写真だね
これね。

で この宴会 かなり
無礼講の会だったということも

ここから 見てとれるんですね。

実は ふざけて 皆さん
帽子を 取り替えっこしているんです。

というのも こちら
こういう かぶっている帽子は

実はこれ
下士官が

士官の紋が付いてる帽子を
かぶっている。

で 今度こちら。

この方 士官でいらっしゃいます。

下士官の この紋が付いている

下士官の帽子をかぶっている。

取り替えっこしてたりとかね。

これ だって 軍隊って

すごく 上下の規律が厳しいっていう
印象があるし

やっぱり 上からの命令は絶対とか
そういうのがある中で

相当 無礼講だったんだ。

もちろん ほんとに軍なので

ほんとに厳しい階級の差っていうのは
あるわけですよね。

ふだん こんなことは
絶対 できないんですけど

やっぱり あの 同じ釜の飯を食った
っていうこともあって

お酒の席で
こういう 和気あいあいとした

貴重な1枚が だから写されたわけですね。

いや ほんとに でもいい写真だなあ。

で 更に あの…

この女性。
ハハハッ ほんとだ!

大丈夫ですか?

お酌をしながら
帽子をかぶってるんだけども。

何か 思わず
かぶせちゃったのかね

何か そういうやり取りが
見えてくるようなのが…。

そうだね そうだね
ここまでに至るね 何かね。

戦争に行く 軍隊に入ってらっしゃる
若者というよりは

もう 何か…

ただ これが 真珠湾攻撃に行く
直前だったって思うとね

また 何かちょっと
複雑な気持ちになりますね。

真珠湾攻撃に向かう直前に
楽しげな宴会に興じていた若者たち。

まずは この宴会の詳細な日時や場所を
特定することにしました。

手がかりは…

日々の訓練の様子が
事細かに記されていました。

あっ!
あったか?

これかも。
あっ これじゃないっすか?

あっ これかもです。
どれですか!

ここ ここ ここ!

お酒って。 「酒」って書いてあるんです。

「鹿屋」。

この 「翠」… 何園?

スイノエン… スイコウエン… で

「酒 朗らかな気分であった」。

日付は 11月12日。

真珠湾攻撃の およそ1か月前。

調べてみると 翠光園とは

鹿屋市に古くからあった料亭。

戦後 取り壊され

現在は存在していないことが
分かりました。

そんな中 現地 鹿児島で

翠光園に行ったことがある
という人を発見しました。

遠いところを ご苦労さんです。

中島 馨さん 86歳です。

中島さんは…

新人の頃 旧海軍出身の先輩たちに

翠光園へ 連れていってもらったことが
あるといいます。

写真を見てもらうと…。

これは…

(中島)ええ これは覚えてますね。

ここは あったなあというのは
記憶に残ってます。

これですね。

当時の翠光園の様子を物語る
貴重な写真を見せてくれました。

いや!

あの宴会の写真と同じ時期に
撮影されたという写真。

同じアングルですね。
ねえ!

これは 同じ部屋ですね
うわ~ ほんとだ。

こちらは 海軍関係者の結婚式の様子。

翠光園は 海軍の将兵が

結婚式や 重要な接待など
特別な機会に使う

高級料亭だったというのです。

若者たちが
仲間内で集まって酒を飲む

普通の飲み会ではなかった。

だとすれば 一体 この宴会は…。

ここで 新たな情報が。

80年前 あの写真と
全く同じような宴会を経験した

という人を見つけました。

どうぞ。
あっ ありがとうございます。

今日は よろしくお願いいたします。

吉岡政光さん 103歳。

80年前 海軍のパイロットとして

真珠湾攻撃に加わりました。

1941年の11月
九州での訓練に励んでいた 吉岡さん。

当時 極秘作戦だった
真珠湾攻撃については

知らされていませんでした。

そんな中 突然 訓練が休みになり

部隊全員参加の宴会が
開かれると聞かされました。

まさに あの写真と
全く同じような宴会が

海軍の主催で行われたというのです。

ふだんは味わえない
高級料亭でのひとときを

大いに楽しんだ若者たち。

その一方 彼らの胸の内には

ひそかな予感もあったといいます。

島田さんたちが見せた 笑顔。

その裏側にも
同じような予感があったのでしょうか。

宴会の3日後 島田さんたちは
鹿児島・鹿屋を離れました。

そして…。

♬~

80年前の今日 若者たちは

真珠湾攻撃の その日を迎えたのです。

まあね あの~ いよいよ
戦争が始まるっていうような予感がね。

ですから まあ
「みんなで飲んでいいよ」って。

ほんとに楽しんでいるのか
楽しみきれているのかは

分からないですよね。
分からないね。

彼らの どういう思いを
抱いていたのかというのは

今回ですね 島田さんの日記を
お借りしてきましたので

そちらに ありますので

ちょっと所長
手に取って 見てみて下さい。

いや よく残ってるなあ…。

うわっ ちょっと待って下さい。
すごく きちょうめんというか… 細かく。

今回 まずですね
所長に見て頂きたいのは 11月23日。

11月23日 はいはいはい。
ここには 島田さんが…

…というのが書かれているんですが

そこにはですね…

…と
書かれてるんです。

ほんとだね
書いてあります。
ちょっと私…

「何ンテ 幸福ナノデアロウ」って

書いてありますね。

戦いに行って もちろん
命を落とす可能性があるんだけれども

「幸福」と。 なるほど…。

で 更に所長
12月8日の日記をご覧下さい。

12月8日… はい ありました。
12月8日。

ついに 島田さんたちは

真珠湾攻撃の
当日を迎えるわけですよね。

そうか 当日だ 12月8日。

島田さんご自身は 飛行機に乗って
出撃はしなかったので

味方を見送って その帰りを待つ
ということになったんですね。

ここにはですね…

「実に…」。

…ということが
書かれてるんですね。

そうか まあね ほんとにこれで

太平洋戦争 始まるわけだから

当然 島田さんにとってもね
分かってはいたことだけど

戦争は やっぱり
人が死ぬんだっていうことをね

実感されたんだね。
そうですね。

戦死したんですけど 実は…

恐らく 相当 多分
このあとも たくさん亡くなってるので

ここに写ってる方
かなり お亡くなりになってると

思いますね。

当然 教科書や あるいは
僕も おじいちゃんとかから聞いて

戦争っていうのは知ってるんだけど
当たり前ですけどね

だけど やっぱ こうやって
改めて しかもカラーでね 見るとね

若者一人一人の人生があった
っていうことをね 感じますよね。

真珠湾攻撃で
仲間の死に直面した 島田清守さん。

自身も その3か月後

航空機で 偵察に出たまま
帰らぬ人となりました。

所長 今回 真珠湾攻撃に関わる
写真を取材する中で

一風変わった写真を見つけたんですね。
それが こちらの一枚なんです。

で 軍服を着て整列している中で

一人だけ
白く塗りつぶされているんです。

そうですねえ。
これ 何か ちょっと異様というか

何で こんなことになってるんですかね。

あっ はいはいはい。

写真の謎を解き明かすため
やって来たのは 神奈川大学。

(ノック)
失礼しま~す。

あっ 「歴史探偵」の青井と申します。
よろしくお願いいたします。

力を貸してくれるのは
戦時下のメディアについて研究する…

この写真について
教えて頂きたいんですけれども。

見せてくれたのは

真珠湾攻撃の様子を伝える
当時の写真雑誌です。

この写真ですね。
あ~!

この方たちですね。
同じ帽子 かぶってらっしゃいまして。

ほうほう ほうほう。

真珠湾攻撃の その日。

空からの奇襲攻撃の裏で

もうひとつの作戦が

ひそかに展開されていました。

それが 5隻の
「特殊潜航艇」と呼ばれる

小型潜水艦による
攻撃です。

真珠湾攻撃で
初めて実戦投入された…

2本の魚雷を搭載し

敵の軍艦に忍び寄り 奇襲するものでした。

中の様子は こうです。

乗組員は2名。

狭い中 操縦し
敵艦を探して攻撃します。

2人だけなんですね。

写真に写っていたのは

この特殊潜航艇で 真珠湾に出撃した
10人の若き軍人たちだったんです。

では なぜ 10人のうち一人だけ
白く塗りつぶされたのか。

それを ひもとくカギが
この記事にありました。

「敵の攻撃
あるいは自爆により

真珠湾海底 深く
没した」。

亡くなったのは

出撃した
10人のうち 9人。

「軍神」と
たたえられています。

彼らは 国のために命を賭して戦った
「九軍神」として

世間に
喧伝されていきました。

特殊潜航艇で真珠湾攻撃に加わった
10人の若者たち。

軍神となった仲間と共に写る…

その存在は
消し去られてしまったのです。

なるほどねえ。

今回ですね 白塗りされる前の写真も
ちょっと見つけたので…

こちらです。 よいしょ。
あら! ああ…。

10人 いらっしゃるんですね。

これが 本来の特殊潜航艇で出撃した

10人の若者たちの姿ということに
なります はい。

一人だけ生き残ったのか…。
そうですね。

生き残った方が
存在を消されるというのが 何ともね…。

何ですの?
アメリカから資料を取り寄せたところ

こんな写真がありました。

なんと 消されてしまった方の
写真なんです。

ねっ ちょっと 不思議な写真ですよね。
うんうん。

雰囲気も
少し変わって見えますけれども

これ なぜかといいますと
アメリカの資料に こうありました。

「PRISONER」 つまり捕虜だったんです。
あっ 捕虜!

…ということが示されていたんですね。

なるほど 真珠湾攻撃というのは
太平洋戦争の始まりだから

だから まあ 一番最初の捕虜に
なってしまったんですね。

あ~ そうか そうか そうか…。

特に ほんとに太平洋戦争の直前に
兵士に対して訓戒が出されて

「戦陣訓」というのがあるんですね。

その中の一節に
「生きて虜囚の辱めを受けず」といって

生きて捕虜になるくらいだったら
死になさいっていう

そういう まあ 考えが
徹底されていたので

そういう意味で
10人いたんですけど

1人は 捕虜になったということで
消されてしまったんですね。

まあ 何か 精神的にきつい… ねえ?

全然 運命が
変わってしまったんですよね。

いや それは気になるさ。
ですよね。

あらま。

真珠湾攻撃で
アメリカ軍の捕虜となった この男性。

海軍で エリート教育を受けた
23歳の若き海軍士官でした。

険しい表情で写された
捕虜となった時の写真。

頬の部分に 黒いシミのようなものが
見てとれます。

こちらが カラー化した写真。

シミのように見えたのは

酒巻さんが自ら 火のついたタバコを
押し当てた やけどの痕。

捕虜になった
自分の写真が出回ると

日本の家族に 迷惑が かかると思い

少しでも
人相を変えようとしたといいます。

酒巻さんの苦しい胸の内は

アメリカ軍の報告書にも
記されています。

「彼は こう言っている」。

うわ きつい内容だなあ…。

今回 酒巻さんの遺族に
話を聞くことができました。

こんにちは。
あっ 青井と申します。

よろしくお願いいたします。

酒巻和男の
長男にあたります。

あの… 酒巻和男さんが
アメリカの捕虜になって

そのあとというのは どうなったのか
ちょっと教えて頂けますか?

捕虜になった直後

死ぬことばかり考えていたという
酒巻さん。

生きて終戦を迎え
無事 日本へ帰ってきたといいます。

死を望んでたんだよね
でもね 最初はね。

「生きて祖国へ帰る」。

捕虜として過ごした
アメリカの収容所での日々の中で

一体…

戦後 酒巻さんに
直接 インタビューをしたという…

難民や捕虜の歴史を
長年 研究してきました。

見せてくれたのは 酒巻さんが
収容所での生活について証言した

貴重な音声テープです。

酒巻さんが語ったのは

自身の心の変化につながった
ある人物との出会いでした。

「名護さん」とは

酒巻さんと同じ収容所にいた
ハワイ在住の日系人の僧侶です。

この人との出会いが

酒巻さんの変化に
大きく関わっているといいます。

現地ハワイで 調査開始です。

まず向かったのは

かつて 名護さんがいたという
浄土宗のお寺。

壁に ずらりと飾られた写真。

その中に…。

立派な顎ひげの この方が

酒巻さんが収容所で出会った 「名護さん」。

浄土宗の要職に就いていた 名護さん。

太平洋戦争が始まると
強制的に収容所に送られ

そこで 酒巻さんと出会いました。

更に 調査を進めると

名護さんに 直接会ったことがある
という人を見つけました。

日系2世の…

子供の頃 日本人学校を兼ねていた
名護さんのお寺に通っていました。

ご自身も
兵士だったんだね。

兵士として 満州へ
送られたという名護さん。

当時の「官報」に
名護さんの名前を見つけました。

掲載されていたのは

なんと 日露戦争で
捕虜になった人たちのリストでした。

ああ… そうか…。

真珠湾攻撃から 30年余り前の
日露戦争の時に

捕虜となった名護さん。

ロシアの収容所で 5か月を過ごし

戦争が終わると 日本へ帰りました。

しかし 名護さんを待っていたのは

捕虜になった自分を蔑むような

周囲の 冷たいまなざしでした。

帰国の翌年
名護さんはハワイへと渡ります。

新天地で 仏教の僧侶として
第2の人生を生きると決めました。

異国の地で
一人 捕虜として生きる酒巻さん。

同じ苦しみを知る
名護さんとの出会いを機に

その かたくなな心が 少しずつ
解かされていったのかもしれません。

酒巻さんの気持ちが
いかに変わっていったのか

それを うかがわせる言葉があります。

収容所時代 自分と同じように
捕虜となった日本兵に

酒巻さんが語った言葉です。

アメリカの収容所での
数奇な出会いによって

生きる希望を見いだした酒巻さん。

戦後 多くの捕虜たちと共に

生きて
日本の土を踏むことになったのです。

いや~…。

その… 生きるべきだっていうことをね

そういうふうに
変わるまでっていうのが

ほんとに あの… ちょっと
こう 想像しきれないけれども

そういうマインドから変わるのって
ほんと 大変だと思うけど

しかもね 戦争というね 時代の中で

死ぬんじゃなくて
生きようっていうふうにね

言えたっていうのが
ほんとに 何か柔軟だし

あと 何か…
何かね 偉大だなっていうね。

そうですね 何か偉大な方ですね。
実際 救ってますよね 人をね。

そうなんですね。

勉強し始めたりして…

で まあ人々… あの… 酒巻さんから
そういった気持ちを教わった人は

それを 「酒巻戦陣訓」っていうふうに
呼んでいたそうなんですね。

だから 「死ね」じゃなくて
「生きよう」っていう気持ちを植え付けた

そういった人が
捕虜第1号だったわけですね。

いや~ だって 捕虜になって
もう自分は終わったと 死なせてくれと。

私の こういう状態を
祖国に教えないでくれって言ってた人が

その時に学んだ英語を武器にして。
はい。

これね ほんとに人間って

何が いつ
どんなに負の状況であっても

それを むしろ力にすることは
可能なんだっていう

その たくましさを感じますな。

まあ 今回 写真がもう
皆さんの記録として残っていることで

こうやって
歴史が ひもとけたわけですからね

その大切さ 記録の大切さ
写真の大切さ

分かったということになりましたよね。
そうだねえ。

なので… 所長。
うん 何だい?

何だよ? ああそう。 ちょっとごめん。

青井探偵 ほんとに
本気で思い出に残そうと…。

(シャッター音)
いいですよ。

ちゃんと ポーズ取りましたね
言いながら。
これが 何千年後かに…。

何千年後! ちょっと
何千年後って どういうことよ?

このひげの人 何やってんだと。
ハハハハッ!

Source: https://dnptxt.com/

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