出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 尾藤イサオ&今陽子[字]

~没後30年…恩師・いずみたくさんとの思い出を~尾藤イサオさん&今陽子さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
作曲家・いずみたくさんの元で音楽や演劇を学んだ、尾藤イサオさんと今陽子さんがゲスト。いずみさんが亡くなって今年でちょうど30年…『徹子の部屋のテーマ』を作曲し黒柳さんとも縁があった。3人でいずみさんと過ごした日々を懐古する。
◇番組内容
過去には同じ事務所に所属し、舞台での共演もあった2人。そんな当時の互いの印象は…?懐かしの大ヒット曲『悲しき願い』と『恋の季節』をスタジオで聴きながら振り返る。2人は70代になっても変わらぬ歌声で今もステージに立ち続けている。歌声を保つ秘訣は健康でいること。尾藤さんは毎日1時間のトレーニングを欠かさず行い、今さんも積極的に歩くことを意識しているという。また、それぞれ最近の私生活についても語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  10. 夜明
  11. 可愛
  12. トレーニング
  13. 随分
  14. 部屋
  15. グループ
  16. サントウビ
  17. テーマソング
  18. ピンキー
  19. ボク
  20. 元気

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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♬~『徹子の部屋のテーマ』

今 流れている このテーマソング

これを作曲なすったのは

いずみたくさんです。

今日は そのいずみたくさんに

とてもお近しいお二人の方に
おいで頂きました。

尾藤イサオさん
そして 今陽子さんです。

よろしくお願いします。
よろしくお願い致します。

今年 ちょうど いずみさんが
亡くなって30年だそうです。

もう そんなに経ったのかと
思いますけれども

色々 当時の思い出や
現在のお二人の

暮らしぶりについても
伺いますけど。

なんといっても
出会いは いずみたくさんの下で

当時の音楽とか演劇を学んだ仲。

いずみたくさんのお写真を
ちょっと 皆様に見て頂きます。

こういう方で。
はい。

まあ… で 2人は
同じ事務所に所属してたの?

そうですね。
はい はい。

いずみさんのお話は
のちほど お聞きしますけども

当時のお互いの印象は
どうだったんですか?

そうですね。
僕は陽子ちゃんを見て

もう びっくり仰天っていう…。

日本では こういう
陽子ちゃんのような歌手は

やっぱり いなかったです。
スケールの大きさと…。

それと また 初めて
ピンキーとキラーズという

ねえ グループ…。

男を引き連れて…。
そういう事です。

もう 本当に
びっくりしました。

今さんは どうです?
私はね

もう とにかく…
今もですけども

その頃 やっぱり
ロックンローラー

尾藤イサオ
っていう感じで。

昔から 本当に
親しみのある

ロックンローラー
兄貴っていう感じで。

そう。 兄貴。
はい。

そういう感じで
兄貴として大好きでした。

そうですか。
ありがとうございます。

お互い なんて呼んでたの? 当時。

私は尾藤さんとか
あと まあ 兄貴とか。

なんか
「サントウビ サントウビ」って

呼んでたね。
なんでもね…

兄貴は
なんでも逆さに言うんですよ。

あっ そうそうそう。
バンドマン言葉で。

そう。 「飯」の事 「シメ」とかね。
あっ そうですね。

「1000円」の事 「ツェーセン」とか。
そうそう そうそう。

なので 「尾藤さん」なんで
「サントウビ サントウビ」って…。

あっ そうなの。
はい。

僕は「陽子ちゃん」って 普通に…
ストレートに呼んでましたけども。

でも 舞台の『オズの魔法使い』で
2人で共演なさった。

はい。
そうです。

ねえ。
私は悪い魔女で

で 尾藤さんが かかしね。
かかしですね。 スケアクロウを…。

でも 舞台で今さんは

驚いた事があったんですって?
なんか。

あっ 夏の暑いミュージカルで

3時間半ぐらいのミュージカルを
昼夜2回なんで

きついんですよね。
ええ。

兄貴は もう 本当に
舞台の袖で遠慮なく

デーンって舞台の袖に寝て
「ああー 疲れた」

「もう できねえ」とか言って
あらわに疲れを表すんで。

もちろん 舞台に出たら
ちゃんとしてますけどね。

だから うらやましかったですね。
そういうのがね。

ねえ。 疲れやすい かかしさん。
そう。 疲れ…。

初めはスケアクロウですから
軽く軽く いくんですけども

最後 もう アンコールの時は
なんか

スケアクロウじゃなくて
トドみたいな… 一番最後に…。

でも 懐かしい思い出でしょ?

そうだね。
そうね。

でも まあ お二人も
70代におなりになりまして。

私 まだ なったばっかりです。
あっ なったばっかりか。

まだ湯気 ホヤホヤです。
でも 一応 70になったばっかり。

この間まで69でした。
はい。

70になったばっかり。
尾藤さんは もう78ですって?

そうですね。
お若いですね 随分ね。

ええ。 まあ 格好ばっかりは…。
元気ですよね。

歌声も なんか 変わらないで

ステージで ご披露して
いらっしゃるそうですけど。

ちょっと VTRで
コンサートの模様を

見て頂きます。
あっ そうですか。 はい。

♬~「夜明けのうたよ」

♬~「ぼくの心の あふれる想いを」

♬~「判っておくれ」

♬~「夜明けのうたよ」

♬~「ぼくの心の おおきな望みを」

♬~「抱かせておくれ」

♬~「二人なら
苦しくなんかないさ」

♬~「見上げてごらん 夜の星を」

♬~「小さな星の 小さな光りが」

♬~「ささやかな幸せを
うたってる」

ああー。
奇麗だね。

本当に いずみさんのメロディーは
いいですよね。

シンプルで奇麗ですよね。
そうだね。

なんか 歌声を保つ秘訣は
トレーニングだって…。

今でもトレーニング
やっていらっしゃるそうですけど

どういうトレーニングなの?

トレーニングは もう
兄貴でございます。

どうぞ 兄貴。
どうぞ。

そうですね。
まず 小一時間 毎日 歩く事と

それと あと 家に
軽いやつですけど

ダンベルがあって
そのダンベルをやったり

柔軟体操をやるというのは
あれですね。

だから 発声練習をするというのは
あんまりないんですけども。

ああ そうなんですか。
はい。

おかげさまで ずっと とにかく
歌い続けてこられたので

声の方は発声をしなくても
あと 体の方だけ…。

体が うまくいけば
声は出るっていう…。

そうですね。 全く もう 普通に
体だけ鍛えておけば

おなかから
しっかり声が出ますね。

今さんは
何かやっていらっしゃいますか?

同じくですね 私も
すごくよく歩くんですよ。

1日1万歩とか歩くんですけど。

やっぱり 発声とか あんまり
歌の方は やらないんですけど。

やっぱり 本当に 体幹ね。
体がしっかりしてれば

ちゃんと 腹筋 背筋で
声を出せば…。

私も いまだにミュージカルとか
ステージやらせて頂いてるんで

発声よりも
やっぱり 体 鍛える方が

声は強い声が出ますね。
なるほどね。

でも すごいですよね。

尾藤さんは孫娘3人いる。
孫娘… はい。

孫娘3人のおじいちゃんって。

はい。
何歳なんですか?

小学校5年と小学校2年と
あと 5歳の…

みんな 女の子なんですけども。
あっ そう。 可愛いわね。

あの 初めは… 赤ちゃん
生まれた時は やっぱり…。

僕は娘2人いるんですけども。

その娘の方が可愛いなと
思っていたんですけども

今は もう 孫にデレデレ…。

こんな話 よく聞いてはいたけども
自分までが こうなるとは

夢にも思わなかったですけども。
デレデレなの?

もう デレデレですね。
可愛いのね。

可愛いです。 はい。
そう。

デレじいなのね。
デレじい。

で コンサートに
お孫さんが来る事はあるの?

はい。 一緒に来て

舞台で ちょっと上がらせて
紹介すると

なんか 一緒に ちょっと
歌ったりみたいなので…。

そんな事できるの?
ええ。

3人 孫娘いるんですけど

真ん中の子が よく…
舞台やなんか好きみたいで

一緒に歌うんですけども。

あと 小さい…
5歳の子に やっぱり

「お姉ちゃんも歌うから
ウーちゃんも歌って」って言うと

「ううん」って。
この子は全然 興味が全くない

っていう感じなんですけど。
あっ そうなの。

「ううん」って言うの。
3人いるんですけども

それぞれが違いますね。

面白いですよね。
そうですね。

でも あれですってね
最近 タップダンスを

再開なすったとかって。
そうなんです。

もう やっぱり 散歩やなんかも
あれなんですけども

やっぱり 体も
もうちょっと動かしたいので

八十の手習いと申しますが

今 TAP DO!という
グループがございまして

そのグループが
僕と同じように曲芸…。

あなた 曲芸で有名…。
やってたんですけども

そのTAP DO!も
ただ タップ踏むだけじゃなくて

色んなコントをやったり
ジャグリングをやったり。

ですから ジャグリングを
一緒にやるようなステージも

やっております。
それで ちょっと

タップもやっていらっしゃって。
そうなんです。

それ ちょっと 今
映像を見せて頂けるそうなんで

ちょっと ご覧ください。
はい。

ああー かっこいい。

♬~

へえー。

これ そう?

♬~

いいですね。

♬~

今の真ん中の方が
そうなんでしょ?

尾藤さん?
そうだと思いますね。

「だと思います」?
いやいやいや そうですね。

かっこいいですね。
今のタップダンスは

どうでしたか?
いや もう だって

もうすぐ80の方の
動きじゃないですよね。

あっ そうか。
本当に ねえ。

元気で すばらしいですよ。
ありがとうございます。

今さんは お母様 今 95歳?
はい。 もう 95になりまして…。

そうですってね。
おかげさまで ちゃんと自分で

まだトイレも お風呂も
それから 歩けますので…。

本当に。
はい。

すごく その辺は娘孝行な母で。

一緒に暮らしてらっしゃるの?
はい。

やっぱり 89までは全然
なんともなかったんですけど

90の声を聞いたら

やっぱり 色々 ちょっと
忘れっぽくなっちゃうし

あと お金の事とか
そういう事は…。

今まで私の確定申告から何から
全部やってくれてた母が

全く そういう事
駄目になっちゃったし

外で待ち合わせも
できなくなっちゃったし

台所にも
立たなくなっちゃったんで。

もう 本当に この4年ちょっとは
私が主導権を握って やってて。

だから 今ね 介護で
結構 皆さん 悩んでる方とか

大変な方 いっぱいいるんで。

ブログには しょっちゅう
書いてるんですけど

それを ちょっとね
1冊の本にしたためてみたので。

そういう事で ちょっと
介護について

あんまり深刻にならないで
なるべく 明るく 楽しく

お母さんと
やっていけたらいいなって。

お二人の恩人でもある
作曲家のいずみたくさんが

亡くなってから
もう30年にもなります。

本当に長いなというふうに
思いますけれども。

尾藤さんは随分…

ミュージカル 5つぐらい?

はい。
…に出ていらっしゃる。

計算しますと いずみ先生の作品に
出して頂いたのは

全5作品なんですけども。

一番初めが 僕が まだ
二十歳の時に声をかけて頂いて

『夜明けのうた』という
タイトルの…。

歌の方は
岸洋子さんがお歌いになって。

そうよね。
はい。

それで 新宿文化って
アートシアターですね。

そこで 映画館が跳ねたあとに
舞台をやるという試みで

初めて『夜明けのうた』の主役で
初めての…。

あっ そう。 ミュージカル。
はい。 ミュージカルを…。

相手が 松本めぐみさんが…。
あっ そう。

まだ 高校生になったか
ならないぐらいの頃でしたね。

そのあと また とにかく…
でも やっている なんか…

もちろん 音楽 いずみ先生で

制作もそうですけども。
あと なんだ…。

関矢幸雄先生という
振り付けの先生と。

とにかく 終わるか
終わらないぐらいの前にも

稽古場でお酒を…。
そうか。 そうですってね。

あっ 松浦竹夫先生ですね。
松浦さん。

松浦先生とで終わってから
赤坂で稽古して

そこで 飲みに行くのは
わかってるんですけども

そうじゃなくて 稽古場でね
ちょいちょい ちょいちょい

やりながら…。
で 終わってから また行って

松浦さんも一緒に。
はい。 それで それこそ

タイトルの『夜明けのうた』じゃ
ないですけども

お三方も まだまだお若い時で

もう 朝 夜明けまで毎日…。
すごいね。

でも 僕は初めて
声をかけて頂いたのが

そういう楽しい作品だったので
今でも本当に懐かしく思います。

いずみたくさんの事務所に
所属なすったのは今陽子さん?

あなたも そうなの?

私は とにかくスタートっていうか
ゼロからそうなので。

当時 いしだあゆみさんが
いずみたく先生のとこにいらして。

で 私 愛知県 名古屋なんで。

名古屋に あゆみさんがね
イベントで来たんですよ。

で ファンだったんで
そこで あれして。

当時のマネジャー…
あゆみさんのマネジャーが

私をスカウトしてくれて。
えっ 本当?

そこから いずみたくさんのとこに
行ったんで。

だから 私は本当にゼロから
いずみたく先生なんです。

あっ そうなの。 へえー。

それで いずみたくさんのところで
面接したら どうでした?

春休みに わざわざ上京して
生で先生に歌を聞いて頂いて…。

あっ そう。
まだまだ下手だけど

これから訓練すれば
なんとかなるだろうっていう事で

入れて頂きました。
本当。

それで 上京後
いずみたくさんのとこの実家に

下宿してたの?
はい。

先生のお宅とか
色々あったんですけども

やっぱり まだ学生ですから…
中学生ですから

だから ちゃんと義務教育…。
中学生か。

そうです。 これ 当時の
下宿先なんですけども。

可愛いわね。
なので いずみたく先生の

ご両親に面倒を見て頂いて。
あっ そうなの。

はい。 いずみたく先生の
お母さんに…。

これが 下宿してた
部屋なんですけども。

へえー。 可愛い。
だから あれですね。

お母様に
お弁当 作ってもらったり…。

なんだか 縫いぐるみが
随分ありますね。

6畳1間に下宿しておりまして。
あっ そう。

で レッスンは どんな事…。

えーっと 歌と… 歌も…
それも音大の先生に… 発声

『コールユーブンゲン』とか
『ハノン』とか

ちゃんと
そういった基礎をやって。

それから あと バレエですね。

クラシックバレエと
ジャズバレエと。

大変。
あと やっぱり

名古屋で ちょっと
イントネーションっていうか

ちょっと方言があるんで。

なので 劇団四季の女優さんに
ちょっと そういうアクセント…

イントネーションも習ったりして。

そういう事のお稽古で
1週間 結構

レッスン レッスン
レッスン漬けでしたね。

そうなの。 じゃあ ホームシックに
なってる暇なんかない?

いえ。 それが…
だって まだ中学生ですから。

もう… 枕が
いつも涙で濡れてました。

あっ かわいそう。
早く家に帰りたいって。

でも 家に帰りたいよりも
やっぱり 歌手になりたい

っていう方が…
希望が大きかったんで。

なるほどね。
はい。

それで 15歳で
ソロ歌手になったんだけど。

デビューしたんだけども ちょっと
売れなかった時期もある?

ちょっとじゃないです。
全く売れませんでした。

ただ 翌年ですか?
ピンキーとキラーズが。

ええ。 だから 売れなくて
あとから入ってきた

佐原直美さんが
『世界は二人のために』で

新人賞 取っちゃって
越されちゃったんですよ。

それで いじけてたら

なんか おじちゃんを
4人 連れてきて…。

あっ お兄ちゃんを
4人 連れてきて。

それで ピンキーとキラーズ
結成で

再デビューっていう事に
なったんです。

そんな若いのに?
そうなんです。

だから 15で売れなかったんで
グループを作って

グループ再デビューに
なったんです。

本当に。
でも 歌を褒められたのは

いずみさんの…
後年だったんですって?

はい。
全く褒めてもらった事がなくて。

本当に もう亡くなる…

これ 甥っ子さんかなんかの
結婚式だったんですけども。

この時に初めてね

「お前 最近 ちょっと
うまくなったな」って。

で ちょっと気持ち悪いなと
思ったら

それから 間もなく
亡くなっちゃったんですよね。

ああー。

それから
もう30年っていう事でしょ。

そうですね。
へえー。

で 私は いずみさんとも
関係があるんですけども

1987年に
いずみさんがお出になった時に

ちょっと
このテーマソングについて

話していらっしゃるんで
ちょっと見て頂いていいですか?

『徹子の部屋』です。

「だから この主題歌 作った
っていうんじゃなくて

これは
黒柳さんのために作った

ミュージカルのテーマ曲で

黒柳さんが これを
拾い上げたっていう感じでね」

「いやいや…。 でも ちょうど
私と島田祐子さんで

この方がお作りになりました
アトリエフォンテーヌという

すぐそこに飯倉っていう所が
あるんですけど」

「六本木の近くなんですけど」

「そこのホールのこけら落としに
出させて頂く時に

“アハハハハ”っていう曲を
作ってほしいという事で」

「作ってくださった時に

“『徹子の部屋』の
テーマソングを頼まれて”って」

「“大変だ”って言うんで
“これがいいんじゃない?”

って言ったら
時間もピッタリだったのね」

「ねえ。 だから 拾い上げて頂いて」

「ほら よく… テーマソングでは
この曲をね 拾い上げて頂いて

あと コマーシャルかなんかでも
よく拾い上げて

やって頂いた…」
「あっ 昔ね」

フフ…。
そうだったんですか。

だからね
「高い声を出すとき」とか

そういうふうな
違う歌だったんです。

『二重唱』とかなんとかって…。
そうそう そうそう そうそう。

島田祐子さんとね。

それで オペラのマネとか
色んな事して

いずみたくさんのところのね
アトリエフォンテーヌで

随分 長い事やりましたね。

半年とか そのぐらいだった…。
覚えてます。

そうですね。
そこ 割と有名になったんだけど。

それでね いずみさんが
作ってくだすったね…。

その頃 ちょうど
パンダが来たんですよ 日本に。

その時にね パンダのね
『涙のパンダ』っていうね…

全然 ヒットさせる気も
ないんだけど。

いずみさんが
私に作ってくだすってね。

一応 レコードになったんですけど
『涙のパンダ』っていうの

ちょっと いいですか?
ちょっと聴いてみて。

♬~「ボクもうまいっちゃったナ」

♬~「ほんとに弱っちゃったナ」

♬~「ボクもパンダ キミもパンダ」

♬~「二匹でケナゲに
生きてくべきだのに」

♬~「どうして
ボクを見向きもしないの?」

♬~「どうして
キミは返事をしないの?」

♬~「あゝ
ボクってすごく不倖せだナ」

♬~「と泣いているパンダが
今ここにいます」

これ 黒柳さんですか?
私です。 そう。

ええー。
わかんない。

全然わかんない。
へえー。

その時 随分の年でしたけど。
年って事もないけど

いずみさんのところでやってた時。

へえー。
ちょうど パンダ来て。

今 また パンダ
ブームだから いいですね。

今の曲ね。 レコードには
なってるんですよ 一応。

もう一回 やりませんか?
もう一回…。

今 ピッタンコですよね。
そう。 もう一回ね

どこかで かけて頂いて。
うん。

4月の23日と24日に

「いずみたく
没30年メモリアル公演」を

博品館劇場で行います。

それに お二人も
お出になるんですってね。

今 いずみさんに
何を伝えたいですか?

そうですね。
ホテルニュージャパンに

いずみ先生の
お酒が置いてあるんでね。

あっ そうなの。
はい。

もちろん
今は関係ないんですけども。

前に。
「尾藤 お前も いつでもいいから

ニュージャパンに
置いてあるから飲みに来い」

っていうのが…
いつも会う度に なんか…。

お金ないの知ってたからかも
わからないですけどね。

あっ そう。
はい。

ですから 今でも とにかく

先生の歌… 『夜明けのうた』も
今でも元気で歌ってますので…。

今さんは どうですか?
私は とにかく…

さっきも言ったように
ゼロからですから。

今陽子は… ピンキーは
やっぱり いずみたく先生に

作って頂いたようなもんなんで。

だから この頂いた財産を
やっぱり 声の続く限り大事に

やっぱり 歌い続けていく
っていう事も

一番 恩返しだと思うし。
そうですよね。

私も兄貴と一緒で
先生にお酒を教わりまして。

あら。
しかも 高級なブランデーを。

ハハハハ…。

ですから 至る所にある
先生のボトルを

だいぶ私も拝借しました。
フフフフ…。

本当に。
みんな 同じ事やってる。

なんか 今さんは
本をお出しになるって?

だから 95になった母の
約5年にわたる介護をですね

あんまり真剣に… 暗くじゃなくて
私の失敗談とか

こうしたら
すごく母が喜んでくれたとか。

で 私の芸能生活55年の
歩みも含めて…。

ちょっと こういうコロナの状態で
延び延びになってまして

今年は出したいなと
思ってるんですけれども。

あっ そうなの。
楽しみにしてるんですけど。

楽しみにしてますね
それじゃあね。

今日の尾藤さん
共演なさった ご感想は?

もう とにかく… 僕も よく
変わらない 変わらないって

言われてるんですけど
陽子ちゃんも全然変わらない。

でも 元気な姿を見て
僕も頑張るという気持ちに…。

そうですよね。
はい。

今さんは どうですか?
私も本当に

兄貴はね いっつも
エネルギーをもらえるし。

それと 本当に いまだにね

一生懸命 トレーニングして
いらっしゃる姿が

すごく すばらしいと思うんで
背中を追いかけます。

はい。
頑張りましょう。

今 聞こえてるの…
これね いずみさん…。

これに 初め
歌詞があったんですからね。

「高い声を出すとき」とかって。
フフフフ…。

じゃあ ありがとうございました。

こちらこそ
ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

Source: https://dnptxt.com/

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