開運!なんでも鑑定団【西郷隆盛の宝&1作品に十数年…驚異の画家作衝撃値】[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

開運!なんでも鑑定団【西郷隆盛の宝&1作品に十数年…驚異の画家作衝撃値】[字]

■<東京オリンピック新競技>…史上初の国産貴重お宝に驚き鑑定額■1作品に十数年…<リアルを描いた画家>の絵に衝撃値■<西郷隆盛>秘宝&人気<一流ブランド>大会■

詳細情報
番組内容
お宝は、何気なく立ち寄った画廊の入札会で一目惚れした物。帰宅後も忘れられないため、夫と相談し、思い切って入札したところ、無事に落札することが出来たが、作者がそれほど有名な画家ではないので、高額で買ってしまったのではないかと不安に思っている。しかし、驚きの鑑定結果にスタジオ騒然!?
出演者
【MC】今田耕司、福澤朗
【ゲスト】とろサーモン
【アシスタント】片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
【出張鑑定】一流ブランドのお宝鑑定大会
【出張リポーター】原口あきまさ
【出張コメンテーター】研ナオコ
【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな
鑑定士軍団
中島誠之助(古美術鑑定家)
北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主)
山村浩一(「永善堂画廊」代表取締役社長)
増田孝(愛知県東邦大学教授)
鈴木正(ゴッデスインターナショナル株式会社 オーナー)
関連情報
【番組公式ホームページ】
www.tv-tokyo.co.jp/kantei/

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
バラエティ – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸

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キーワード出現数ベスト20

  1. 万円
  2. 原口
  3. 二郎
  4. お宝
  5. サーフィン
  6. 日本
  7. 当時
  8. ボード
  9. 一流ブランド
  10. 久保田
  11. 作品
  12. オープン
  13. セーヴル
  14. タロー
  15. マリブ
  16. 村田
  17. ルイ
  18. 購入
  19. ヴィトン
  20. お願い

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

全然 練習ならへん
何ができんねん ホンマに。

まぁ 結局 漫才ですね。
もうええわ。

はい その心は?
なんて言うたらええねん これ!

怖いことしてくんな 急に。

ありがとうございました。
どこで終わってんねん!

< お笑いコンビ

<学生時代からお笑い好きだった
村田さんが

宮崎日本大学高校で
同級生の久保田さんを誘い

1998年 吉本興業のお笑い養成所
NSCを受験。

合格率99%以上といわれる
入学試験で

なぜか 久保田さんだけが不合格。

いったい
どうしたことでしょう?>

なんでや
住所言うたら入れんねんぞ。

< ところが翌年 リベンジし無事合格。

2002年に
晴れてコンビを結成しました。

とろサーモンのコンビ名は

明石家さんま 池乃めだかなど

魚にちなんだ名前が売れる

とのうわさを信じて

つけたそうです。

すると ボケる久保田さんを
村田さんが冷たくあしらう

スカシ漫才がうけて たちまちブレイク>

僕 これくらいのほうれん草で
どついてましたわ。

よいしょ
でね ほんで…。

<更に村田さんは

端正なルックスと
独特の声を生かして

俳優やナレーションでも活躍>

これは ええお芝居やったな~。

せやけど 売れたいなぁ。

<一方の久保田さんといえば…>

<先輩芸人の中川家 剛さんに
お年玉をもらった際

「欲を言うとあと8枚」と

SNSにアップなど

芸人として100点

人間として0点の
エピソードで

クズ芸人の地位を
確立しました>

地位があるんだ クズ芸人て。
確立したなぁ。

< そんな2人が
2017年のM-1グランプリで

初めて決勝に進出。

結成から15年目。

エントリーできる最後の年に

見事 優勝を勝ち取りました>

とろサーモン!

おめでとうございます。
ありがとう 神よ。

依頼人の登場です。

懐かしい。
(片渕)東京都からお越しの

とろサーモンのお二人です。
(一同)よろしくお願いします。

あの村田 よう覚えてるわ。
あっ!

もう 優勝したのに
おびえきってたから。

信じられないんです やっぱり。
優勝したタイミングで

なんか知らないですけど
10年以上やめてたタバコ

吸い始めましたからね。
えぇ。

もう わけがわからなくて。
どの番組にもない

空気感ですよね。
出囃子 あるじゃないですか。

あの出囃子を聞いたら
緊張するからって

千鳥のノブさんが言われたんですよ。

決勝戦の何日か前に
ずっと聞いとけよと。

ゴーゴーゴーゴー みたいな。
山手線乗りながら

ずっと聞いてました。
いい話ですよね。

まぁ そのあと
とろサーモン久保田くんが

台なしにしたんですけどね。
ちがっ 今田さん

唯一ブイもカットしてもらってるので
静かにしてくださいよ。

お宝なんですけども さぁ
村田のお宝やったっけ?

僕です。
お宝 オープン。

あれ 何これ?

西郷隆盛さんの手紙なんです。
えっ!?

えぇ!?
はい しかもです 今田さん これ

村田新八さんに
宛てた手紙なんです。

村田新八さんっていうのは

西郷隆盛さんと
すごい親密な関係で

側近というか
懐刀っていわれた…。

西郷隆盛さんが亡くなったとき
そのあとに

村田新八さんも
自決されてるっていう。

そうですね 後追いですよね。
おんなじ日にね。

字の感じ 西郷隆盛さんが
いかにも書いてそうな

力強い…。
そうですよね。

うちの親父が
鹿児島出身なんですよ。

結構 骨董品が好きで

古いレコードとか カメラとか
よく集めてて

そんなんは 結構
雑多に置いてたんですけど

これだけ めちゃくちゃきれいに
棚に置いてて

そこに毎日お水と なんか
おまんじゅうとか供えてて…。

鹿児島の人にとったらな
西郷隆盛って

もう 別格やもんね。
これ触ったら

死ぬっていわれてたんですよ。
1回 僕らもう

兄弟 兄貴と一緒に
小学校のときに

触ったんですよ。
で その箱が動いてて

親父にバレて ボコボコにされた…。

ホンマに死にかけたんです。
触ったら死ぬぞは

ウソじゃなかった。

ホンマに怖い親父で…。
反社会じゃないよね。

違います 違います
木こりやってたんですけども…。

あぁ はいはい。
久保田も見たことがあって…。

そうですね 高校か
参観日に来られたんですけど

オノ持って 後ろずっと立ってて。
参観日にオノ持ってきたん?

持ってきてました。
で参観日 終わって

帰るときに下足の靴のとこ
あるじゃないですか。

あそこの傘入れ
あるじゃないですか。

あそこに オノがボンって刺さってて。

いやこれ 楽しみですね~。
せやね。

増田さんのとき
打率高いねん 本物の。

(村田)ホンマですか。
(久保田)打率って言うてんすね。

さぁ ご本人の評価額になります
村田くん。

はい 100でいきます。
100。

親父の形見でもありますので。
それでは まいりましょう。

オープン ザ プライス。

これ うれしい。
さぁ どうぞ 上…。

これも うれしい。
M-1くらい緊張する。

えっ?
あぁ!

マジで!?
これは最悪!

ウソでしょ!?

触ったら死ぬ。 神棚…。

庭で死ぬほど殴られた…。
500円。

悪意を持った
真っ赤な偽物でございますね。

普通 手紙っていうのは
気持ちのおもむくままに

書きますから にじんだところと
かすれたところっていうのは

きれいなリズムが出るんですけども
1か所もないです。

べたっと黒い… しかも
右肩のところに

関防印という印が
押されてるんですけど

手紙には
印を押されるということが

まず 普通はないんですよ。
中身はですね

今日は 天気も快晴なので

兎狩りに行きたいと
あなたも一緒に来ませんか?

飼っている犬をつれて
行きましょう。

西郷自身が犬が好きだから

そういうエピソードを知ってる人に
うけるように作ってあるという…。

お前 先生に500円の下で
あんだけしゃべらせるなよ。

すみません。
ホンマやわ。

久保田と
こないだ飲んだときにやな

相方… 家から
とんでもないもんがあるんで

ちょっと楽しみにしといて
ください言うて

楽しみにして 損したやないか。
(久保田)俺も損ですよ。

すみません。
一応 出ていただいたんで

どうも ありがとうございました。
ありがとうございました。

すみませんでした。

<続いては
サーフィンのオリンピック会場となる

釣ヶ崎海岸の すぐお隣にある
太東海岸から。

海の目の前に建つ こちらのお店

タニーサーフにお伺いしました>

< ごめんくださ~い>

は~い こんにちは。
ようこそいらっしゃいました。

<次なる依頼人は…>

<タニーサーフは
大谷さんの父 正一さんが

1966年に創業した
千葉県で最も古いサーフショップ。

始めたきっかけは?>

っていうことで
思いついたのが 海岸…。

<日本では まだ

サーフィン自体が ほとんど
知られていなかった時代に

正一さんは 自らボードを作り
サーフィン大会を企画。

すると 太東に若者が
押し寄せるようになりました>

<秀美さんも
そんな父の跡を継ぎ

現在は 主にスクールと
サーフボードのレンタルを行っています。

しかし 経営は
なかなか厳しいそうで…>

ウェブで物が何でも買える時代に
なってしまったし…。

お店に来られる方っていうのは

そんなに多くは
なくなってしまったんですよね。

サーフショップっていうのは
本来 そのポイントの…。

< これからも頑張ってください。

ところで お宝は何ですか?>

< それは

<発売当初に父が購入>

僕は…。

希少なものなんじゃないかな
っていうことを思ってます。

鑑定のほう
よろしくお願いします。

依頼人の登場です。

千葉県からお越しの
大谷秀美さんです。

ようこそ 「鑑定団」へ。
よろしくどうぞ お願いします。

確かに 70年代ありましたね
『ビッグ・ウェンズデー』とか 映画がね。

日本でも大ヒットして
サーフィンやる人 増えたもんね。

ご自身も 子どもの頃から
サーフィンはされていたんですか?

そうですね 子どもでやってるのは
ほぼいなかったんですけど。

子どもは いなかったですよね。
いなかったですね。

僕は 16歳くらいのとき
やってましたね。

あ~ そうですか。
地元のルールとかローカルルールとか

いろいろあって
また怖いんですよ地元のサーファーが。

「おい」っていう
声がけがあったら

「これ俺が乗るから
乗っちゃダメだよ」っていう

合図なんですけど
わかんないから 最初は

「おい」って言われても
「なんや」って言いながら

乗ってるじゃないですか。
向こう着いたら

「お前!」っつって
すっげえ怖いんですよ。

今は そんな怖いところは
あんまないと思いますけどね。

でも もう程なく オリンピックで

国際的な選手が
あの海にやってきますけど。

父が生きていたら もう本当に

喜んでくれたんじゃないかな
というふうに思いますね。

さあ そして今回 お宝ですけども。

拝見しましょう。 お宝 オープン!

せ~の。

うわ~ すごいのきた。
うわ~!

歴史は感じるな これは。

1960年代に製造されたボードでして。

日本製ですか?
日本製ですね。

手前側が マリブっていうブランドで

奥の1本が
フジっていうブランドになります。

当時 売ってたのは
百貨店だったっていう。

ボードは?
はい 高級品として。

手間側のボードは
「お前 乗らないか」っていって

父がくれたものなんですよね。
10か11くらいだったと思います。

小学生のときですね。
そうですね。

こういう ショートボードっていうのは
まだなかったですね。

当時としては
もう極めて短かったんで

もったいなくて
ほぼ使ってないんですよ。

だいたい 新品で
1枚 いくらくらいなんですか?

今現在では だいたい
10万円前後ですね。

いやでも 貴重なもんなんじゃ
ないでしょうかね。

ちなみに今田さんはサーフィンの腕前は
どのくらいなんですか?

僕はね もう才能が ゼロでしたね。
ゼロなの?

パドリングっていうので出ようとして
波来たときに潜るんですけど

波と一緒に戻るっていう。

<サーフィンは
東京2020オリンピックにおいて

初めて正式種目として採用された。

決戦の舞台は

<7月25日に火ぶたが切られる。

オリンピックで競うサーフィンとは
どういうものか?

波が作るトンネルをくぐりぬける

<波を駆け上がり宙に舞う
エアリアルなどの技があるが…>

<ボードには
全長9フィート以上のロングボードと

6フィート前後のショートボードがあるが

オリンピックで使用されるのは ショートボード。

ロングボードに比べ 細かいターンが
できるのが特徴である。

サーフィンが マリンスポーツとして
認知されるようになったのは

20世紀に入ってから。

その立役者が ハワイの伝説的スイマー

<デュークは

<以来
世界各国の大会に招待されると

行く先々でサーフィンを披露し
その魅力をアピールした。

しかし 当時 サーフボードは木製で
長くて重いため

乗りこなすのは極めて難しく

一般に普及するには至らなかった。

アメリカ西海岸を中心に
一大ブームが起こったのは

1960年代初頭のこと。

その理由は ポリウレタン製の軽いボードが
登場したことによる。

これに
いち早く着目した日本人が

< もともと米沢は

< その際 カリフォルニアで
サーフィンに興じる若者を見て

日本でも必ず流行ると直感。

日本で
ほとんど知られていなかった

このスポーツに投資すべく
帰国後すぐに…>

<アメリカでボードシェイパーをしていた
日系人 タック・カワハラを呼び寄せ

サーフボードの製作に
乗り出したのであった。

為替レート 1ドル360円だった当時

輸入材料を使うと
コストがかかりすぎるため

一から全て国内で生産。

ボード内部に入れる発泡ウレタンは

湿気の多い日本で作るのは
困難とされたが

試行錯誤のすえ これを克服した。

1963年 マリブが誕生。

これは
日本で初めて量産に成功した

本格派サーフボードであった。

その名は タック・カワハラが
サーフィンに通った千葉県勝浦が

自分の生まれ故郷
マリブのようだと思ったことから

つけられた。

輸入ボードが 15万円した当時

マリブは なんと3万8千円。

発売当初こそ サーフィン人口は少なく
売れ行きはいまひとつだったが

1966年に 第1回 全日本選手権が
開催されるや

サーフィン人気が一気に高まり
需要が拡大。

市兵衛自身は サーフィンを
まったくやらなかったものの

率先して大会を開き 賞品を提供。

更に 勝浦に
サーファー用のロッジを作るなど

若者の心をつかみ

サーフィン普及に
大きく貢献したのであった。

改めて 依頼品を見てみよう。

国産のサーフボード 3点である。

このうち2点は
60年代に作られたマリブで

1つは ロングボード

もう1つは
アルバトロスと名づけられたショートボード。

そして もう1点
「Fuji」と刻印されたロングボード。

詳しく調べたところ
富士工機という日本のメーカーが

なんと マリブ誕生以前に
製作したものであった。

しかし このフジのサーフボードは

内部に水が侵入しやすいという
欠点があったため

生産期間が極めて短く

資料も ほとんど残っていない
まさに幻のボードである>

今 ほんこんさん
やってますもんね。

日 焼けて サーフィンやってるの
知らんかったから

完全に肝臓悪い 思って…。

ご本人の評価額です。
おいくらでしょうか?

創業55周年になりますんで55万円。

さあ いったい どれくらいの
値段になるのか。

オープン ザ プライス!

110万円!

55万のちょうど倍になりました。
倍だ!

倍になりました。
おめでとうございます。

日本のサーフィン史に残る
歴史的なボードですね。

特にですね フジですね。

これが いちばん
価値があります 50万円です。

農機具の富士工機っていう会社が
作ったものなんですね。

フジの板は
折れたり剥離したり

非常に素材が弱くて
まぁ すぐ撤退。

ただ ここにある
このフジはですね

プロトタイプの板で 真ん中にね

ラワン材の補強材が
入ってるんですね。

だから どんな大波にも
この板は折れません。

それから マリブのロングボードが40万円。

で アルバトロスのショートボードが20万円です。

その時代 マリブは製品価値が
もう群を抜いてましたね。

博物館コーナーをね…。
展示したい?

はい。
ぜひね 作ってください。

どうもありがとうございました。
どうもありがとうございました。

<脈々と受け継がれる職人の技。

一流ブランドには 時代に左右されない
不変の輝きがある。

今宵 信頼と実績に裏打ちされた
お宝が大集結>

<早速いってみよう!>

一流ブランドのお宝鑑定大会!

<ゲストコメンテーターは
一流歌手の研ナオコさん>

今日は お召し物は?

あっ どこの?

忘れちゃってる…。

誰だっけ?

そうか そうか! それ
やってくれないと わかんないわ。

< まずは プロの画家を
目指していた高橋さん>

きっかけは何だったんですか?

その恋は実ったんですか?

実らず。

<絵の修業のため 20代でヨーロッパへ。

こちらが その当時の作品>

(研)これ いいですね。

ピカソがですね
ちょうど僕が行ったときの

前の年に亡くなって

<残念ながら
ほとんど売れなかった。

そこで やむなく絵筆を折り…>

<今日は 自慢の化粧筆セットを
研さんにプレゼント>

うわぁ!

(原口)ダメダメ…。

(原口)お宝1個も
見てないし まだ。

<高橋さんが お持ちの
一流ブランドは?>

(原口)大好きでございます
ナオコさん。

<ルイ・ヴィトンは 1854年
フランスの鞄職人 ルイ・ヴィトンが

世界初の旅行鞄専門店として創業。

お宝は こちら>

すごいアンティークですよ。

<47年前 パリの蚤の市で購入。
その金額は…>

ルイ・ヴィトンだって分かって買った…。
分かってないです。

<画材入れとして
使っていたところ

ルイ・ヴィトンの文字を見つけビックリ!

早速 友人に自慢すると…>

< あまりに軽くて丈夫なので
素材を調べたところ

紙とよく似た化学繊維で
できていることが判明した>

< この素材に ヒントを得て
三十数年前 メイクボックスを作成。

それを販売したところ…>

やったね。
(原口)やったね。

<本人評価額は
期待を込めて10万円。

このトランクと出会わなければ
今の自分はなかった。

値段はどうあれ
一生大事にするつもりだが

果たして結果は?>

(原口)こい ドン! 3万円!

< う~ん 残念!>

ルイ・ヴィトンに間違いございません。

(原口)間違いないんだ…。
(研)そうなんだ。

作られたのは
1909年から14年の間。

型押しのマークが
入ってますけれども

リールのお店 1909年。

シャンゼリゼのお店が
入ってないんですよ。

シャンゼリゼのお店が
オープンしたのが1914年。

ですから その間ですよね。

ロジンという
非常に軽くて丈夫な材質。

マーモットという当時の行商人が

品物を持ち運んだ
入れ物なんですよね。

実用品ということなんで

かなり数もあったと。

<続いては 乗客と恋に落ちた
個人タクシーの運転手 田中さん>

どういう出会いだったんですか?
お客さん乗ってくるでしょ。

降りるとき…。
降りるときに。

えっ 教えたんですか?
教えたよ。

(原口)ちょっと下心あった?

そのあと どうなったんですか?

ええ。
うわぁ!

今 その奥さんは?

どういうことですか?

<田中さんがお持ちの
一流ブランドは…>

<ロレックスは 1905年に

ハンス・ウィルスドルフが
ロンドンで創業した老舗時計メーカー。

お宝は こちら>

<40年ほど前 ダイビングを始めた際
30万円で購入。

初めて これを装着し
伊豆の海に潜ったところ…。

(原口)えっ 無くしてきちゃった?
そう。

海の底よ。

<一応 紛失届は出したものの
戻るはずがないと諦めていた。

しかし 1か月後
見つかったとの連絡が>

う~わっ これ すごっ!
すごい。

奇跡ですね。

< その後 ダイビングをやめたため
しまいっぱなしにしていたが

3年前 甥っ子にプレゼントしようと
修理に出した。

すると…>

どうしますか? っていうから

修理したんですか。
そしたら…。

<本人評価額は

購入金額と修理代を合わせた
46万円。

これと同じ時計を 映画 「007」で

ジェームズ・ボンドが着けていたと
最近知って

とても期待している。

果たして結果は!?>

ジャカジャン こい!

< これは すごい!>

1980年代前半に生産された
ロレックスのサブマリーナーなんですね。

サブマリーナーは 1950年代の半ばから
今現在に至るベストセラーになります。

全体のコンディションは
すごくすばらしくて

きれいなんですけども
数年前にメンテナンスに出したと。

その際に
針3本と回転ベゼルのブラックの部分。

新品のパーツに
交換されてるんですね。

(原口)え~っ!

それとケースとブレスレット
これもですね

新品に
仕上げされちゃってるんですよね。

もし それが
そのまんまだったら?

だったら200万超えてます。
う~わっ。

<続いては

不思議な力があるという
石岡さん>

例えば

それが…。

必ず当たるんすか。
それで 例えば…。

そしたら…。

相当お金持ちに
なられるんじゃないですか?

いや でも 入ったもんは バーッと

皆さんに
どうぞ お使いくださいみたいな。

(原口)回すんですね。
だから

ナオコさんも
不思議なパワーはね お持ちで。

<石岡さんがお持ちの
一流ブランドは…>

セーヴルの花瓶です。
セーヴル。

<セーヴルは ルイ15世や
ポンパドゥール夫人の出資により

1759年 セーヴルの街に誕生した
王立の製陶所。

お宝は こちら。

10年ほど前
何かに導かれるように入った

骨董店で見つけたもの。

数ある品の中で この花瓶だけ…>

とか思って
位置を変えたんですよ。

でも

えっ!

<当時 骨董には
まったく興味がなく

セーヴルの名前すら知らなかったが
名品に違いないと直感。

店主の言い値 5万円で購入した。

本人評価額は
買った金額の14倍 70万円>

<光り輝くオーラが私には見える!

これで貧乏暮らしとも
さようなら!

果たして どうなるのか>

<10年ほど前 名品と直感し
5万円で購入した セーヴルの花瓶

果たして 結果は!?>

ジャカジャン こい!

<ダウンするも大健闘!>

(原口)まあまあまあまあ。

これはね 王立 のちに
国立になるんですけれども

セーヴル窯とは違うんです。
(原口)あぁ そうなんですか。

セーヴルの街にあった ポール・ミレという
工房の作品になります。

陶器にエナメル
七宝で装飾を施していて

非常に手の込んだ
仕事をしてますよね。

キラキラっとした光沢が
すばらしいですよね。

1897年に作られて

絵付けをした人の
サインが入っています。

いいものですね
大事になさっていただきたい。

<続いては 美容師から
カメラマンに転職した堀さん>

あ そうなんすね。

やっぱり

<昔からカメラが趣味で

仕事の合間に撮影した映像を
SNSにアップ。

それを見た日本の企業から
カメラマンとしてスカウトされた>

(研)これがいいんじゃないの。
(原口)ワクワクさせる映像やね。

そうですね。
新しい時代ですよ。

私なんかもそうですもん。
(原口)そうですか。

それが おかしかったっつって。

ナオコさんの
焼きそば口から出てる映像…。

<堀さんがお持ちの
一流ブランドは…>

ホイヤーの時計です。

<ホイヤーは 1860年

スイスの時計師
エドワード・ホイヤーが設立した時計メーカー。

お宝は 二十数年前

腕時計好きの父が
7万円で購入したもの。

子どもの頃 父から

と言われていたが
28歳になった現在も…>

あら。
っていうのも

当時 母親に
いい理由をつけて

これは 息子に
二十歳になったらやるぞと。

あ~。

<実のところ 自分は この時計に
さほど興味はなかったが…>

いつも両親で

コソコソ話してるんです。
なるほどね。

なので 僕としては

< がぜん興味が沸き
父に代わって応募した。

本人評価額は
当てずっぽうで20万円。

今回の出演を
いちばん喜んでいるのは父で

時計を自分に譲ると
約束してくれた。

果たして 結果は!?>

ジャカジャン!
期待せず。

こい!

< これはすごい!>

ホイヤーのオータヴィア。

自動巻きのクロノグラフを
世界初で出した。

70年代を代表するモデルですね。

当時 ホイヤー自体が モータースポーツ
大きなスポンサーだったんですね。

箱のデザインも
チェッカーフラッグになってますよね。

裏蓋に
未使用品に必ず必要なシールが

しっかり貼ってあるんで

未使用品っていうことで

箱がそろって
取扱説明書がついた保証書。

3点そろうっていうのはですね
まず そうはないんですね。

(原口)お~っ!
(研)ほら。

<最後は
お気に入りのファッションで登場。

佐々木さん>

こちらは 一流ブランドなんですね?

おいくらで?

ISSEY MIYAKEさん以外の
好きなブランドってあるんですか?

<実は佐々木さん 筋金入りの…>

<イチオシが こちら>

うわっ! すげぇ!

ピカチュウ 光ってる!

(原口)どのくらい
かかりました? これ。

<佐々木さんがお持ちの
一流ブランドは?>

<ウェッジウッドは 1759年
ジョサイア・ウェッジウッドにより

設立された
イギリスを代表する陶器メーカー。

お宝は こちら>

おっ!
(拍手)

これ きれいですね。

<15年ほど前 展覧会で
このシリーズ作を初めて目にし

その美しさに
すっかり魅了されてしまった>

ラスター彩といわれる 虹色に光る
塗装なんですけれども…。

こんなに…。

< ぜひとも手に入れたい と
ネット検索すると

海外のオークションサイトで発見。
しかし…>

< その友人に落札してもらった。

2点で 20万円ほどだったが
お金は支払っていない。

というのも…>

まぁ そうですね。

<本人評価額は
落札価格と同じく 20万円。

ふだんは 玄関の棚に
ピカチュウと並べているが

鑑定額次第では
置き場所を考えたい。

果たして 結果は!?>

ジャカジャン! こい!

<大幅アップ!>

ビックリ…。

フェアリーランドウェア 間違いございません。

1916年から 25年間だけしか
作られてない。

たいへん珍しいものですね。

女性デザイナーのデイジー・ジョーンズという人が
イギリス古来の妖精物語をテーマに

デザインしたものになりますね。
ラスター彩… メタリックな光沢のある

キラキラッとした特殊な技法を
使ってます。

非常にきれいな 鮮やかな色を
使ってますし

絵付けの細かさ
すごく 群を抜いて 良いもの。

裏の窯印から もう 完全に
オリジナルに間違いございません。

すばらしいもの
見せていただきました。

ありがとうございます。

<続いては 東京都中央区から。

早速 ご自宅にお伺いしました>

イテテッ! イテッ…。

肩こりのツボです。

< ご主人に マッサージを
している この方が

次なる依頼人…>

どういたしまして。

< うらやましいほど
ラブラブですね>

夫のことが好きすぎて…。

< しかも このイラスト
むつみさんが描いたそうです。

むつみさんは もともと札幌で

情報番組の
タイムキーパーを務めていましたが

42歳のとき
久しぶりに会った
友人に…>

<…と
お願いしたところ

東京在住の宏和さんと
お見合いすることに>

実際に会ってみると…。

< そして 初めて会った日から
ちょうど1年後

めでたく ゴールイン>

実際に結婚してみると
やっぱり すごい…。

<応援してます。

ところで…>

< それは 今年2月
夫と買い物に出かけた際

たまたま通りかかった画廊で
入札会が開かれており

何気なく 立ち寄ったところ…>

< そこで ありったけの貯金を
注ぎ込む覚悟で入札すると

無事 落札できたそうです。
しかし…>

よくよく考えてみると…。

(2人)鑑定
よろしくお願いします。

<スタジオで拝見しましょう>

依頼人の登場です。

東京都から お越しの…。

ようこそ 「鑑定団」へ。
お願いします。

いやぁ… すごい出会いでしたね
でもね。

はい。
運命の出会いですか?

運命だと思います。
初婚同士でね…。

今日ね 来られてるんです
旦那さん。
ご主人。

Tシャツ 着てきてますね。
例のTシャツ。

お互いの性格は どうなんですか?
あちらは とても几帳面。

私は 大ざっぱなほうなんですね。
大ざっぱというよりも

ずぼら というかですね…。
(笑い声)

せっかくやから ちょっと
ここだけ直してくれたら

もっと最高 っていうとこは?
旦那さんから…。

そうですね あの… ドアを
ちゃんと閉めてほしい。

いや… わかるわ!
あれですよね… 食器棚とか。

あっ 開けっぱ?
ちょっと 開いてんねや。

ドア閉めないんだ。
冷蔵庫とかも 半ドアなんじゃない?

大丈夫です。
ピッピッ 言ってくれるから。
(笑い声)

奥さんから 旦那さんに ちょっと
直してもらいたいとこは?

ない。
ない? じゃあ ホントに

ドア 閉めてくださいよ!
(笑い声)

お宝 オープン!

きれい でも…。 さぁ これ
どなたの作品ですか?

長谷川二郎の油彩画です。

昭和の洋画家です。
いくらで買われたんですか?

130万。
(片渕)130万…。

本物かどうか わかんない?
まぁ… そうなんですよ。

でも 光り輝いてた気がして…。

日常の 普通のものを
こんだけ美しく描くって…。

そう 確かに。
見てて心が穏やかになるような

感じに…。
確かに 不思議な絵だな。

励まされますよ。

は~っ 毛糸に?
(笑い声)

玄関に飾って 仕事に行くときに
二郎 いってくるよって言って。

気が多い人ですね 奥さん。
ねぇ ホントに。

いや いや いや。
もう亡くなった画家さんを

熱烈に思ってるわけだから
こんな健全なことはない。

二郎のお墓が
多磨霊園にありまして。

で 夫と2人で。
行ってきた?

お墓参りに行ってきたんです。
もう あの… 何。

親族みたいな感じなんです。
二郎が?

はい。 親戚の
おじさんみたいな感じで。

おじさんが画家で この絵を
持ってきたくらいな

気持ちなんですね 今日は。
そうです そうです。

いや 違いますから。
(笑い声)

<猫が眠っている。

寝息とともに
かすかに震える柔らかな毛並み。

思わず なでてみたい。

名を タローという。

しかし この猫 片方のヒゲが ない。

いったい なぜか?

描いたのは 長谷川二郎。

何気ない日常の
ささいなものたちを

ひたすら見つめた画家である>

<父は新聞社の社長にして主筆。

兄は 小説 『丹下左膳』を書いた

流行作家 林不忘。

2人の弟 濬と四郎も

それぞれ作家として名を馳せた。

二郎が油彩画を
描きはじめたのは 中学生の頃。

画集で見た
ピカソやルソーの作品に魅了され

見よう見まねで
キュビスムから シュルレアリスムまで

さまざまな画風を独学で習得した。

二郎は 生涯
師を持つことはなかった>

<異国の美しい町並みにひかれ
風景画に没頭。

当初 5年以上
滞在する予定でいたが

ある日 ふと日本の風景にも

パリとは まったく別世界の
美しさがあると気づき

わずか1年で帰国した>

<フランスで描いた風景と
日本で描いた風景は

構図的には
ほぼ同じであるが

よく見ると 土や木々

空の色が微妙に異なる。

二郎は 実物を前にしないと
決して描かない。

しかし そのまなざしは
厳しく 潔く

天候や季節が変われば
即座に制作を中断した。

温度や湿度 太陽の角度で

土の色も木々の緑も
変わってしまうからである>

<制作日誌には こうある>

<一つの作品が完成するのに
数年 もしくは十数年を

要することも しばしばであった。

生活は困窮を極めたが
二郎は焦らず

時を惜しまず ただひたすら
対象を見つめ続けた>

<ガラス瓶に生けたバラを。

食卓の魚を。

余計なものは
そぎ落とし

純粋な命の輝きだけを
描いたのである>

<二郎が アトリエで熟睡する

タローを描きはじめたのは
1960年9月のこと。

1か月が過ぎ
寒さが増してくると

タローは体を丸くしてしまう。

無理に伸ばそうとしても
うまくいかない。

二郎は待つことにした。

翌年の同じ時期に タローが自ら

同じポーズをとってくれるまで>

<毎年 毎年

少しずつ タローのまどろみを
描いていく。

これが 6年ほど続いて
タローが死んだ>

< やむなく二郎は

想像で片方だけ
ヒゲを描いたのであった。

タローは世界一 幸福な猫になった>

<晩年 関節症を患い
歩行困難となった二郎は

アトリエにこもり
ひたすら絵筆をとった。

作品は ますます純化し

画面は深い静寂に
包まれていった。

二郎は
一部の評論家や画商には

高く評価されていたものの

寡作で遅筆。 画壇とも
距離を置いていたため

知る人ぞ知る
孤高の画家であった>

<改めて 依頼品を見てみよう。

長谷川二郎の油彩画で

縦 21センチ 横 26センチ。

机に置かれた
色とりどりの毛糸は

薄く透明な絵の具を
何度も塗り重ねて描いており

実に鮮やかで美しい>

感無量。
感無量?

すてきなVTR 作ってくれて
ありがとうございます。

身内じゃないじゃない。

ご本人の評価額になります。
おいくらでしょう?

130万円で。
入札した額で?

はい。
まいりましょう。

オープン ザ プライス。

やった!! 200万!
おめでとうございます。

ありがとうございます。
ありがとうございます。

本物でございます。
ありがとうございます。

卓上の静物を好んで描いていた

比較的
晩年寄りの作品だと思います。

奇抜な構図取りとか
大げさな色の使い方。

そういったものは一切ない。

ただ ずっと長い時間
対じしていても

見続けられるような魅力
っていうのが あると思います。

二郎にとっては 描くものすべて
序列がなくて平等なんですよね。

普通の写実画と違って
私的な世界観とか

深みっていうものが
伝わってくるような

作品が多いんですよね。
描く物質の見えない部分に

ある美っていうのを
丁寧に くみ上げて

キャンバスの上に
ささやかに表現する。

すごく いい絵だと思います。
ぜひ大切にしてください。

ご主人 いかがですか?

値段というよりも やっぱり

妻の思いが通じたっていうのが
よかったんじゃないでしょうか。

あら。
(片渕)優しい。

これで また一段と二郎熱が
激しくなりますけど

さみしくないですか?

いや ちょっと向こうに
二郎に行ってもらったほうが

私も助かるので。
(笑い声)

分散したほうがいいみたいな…。
いいかもしんない。

どうも ありがとうございました。
おめでとうございます。

< お宝鑑定希望の方

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どしどしご応募ください。

お待ちしています。

詳しくは番組ホームページを
ご覧ください>

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