出典:EPGの番組情報
歴史探偵「本当に鎖国だったのか!?」[解][字]
江戸時代の日本は本当に「鎖国」だったのか?長崎、北海道、鹿児島、対馬の4つの窓口を徹底調査する。実は多くの日本人が海外にわたっていた?幻の北のシルクロードとは!
番組内容
日本史の重要ワード「鎖国」。最近、教科書から消えそうになるほどの議論を巻き起こしている。江戸時代に海外に開かれた4つの窓口を調査!長崎では「引力」「分子」「惑星」などの言葉を生み出した外交交渉のキーマン、阿蘭陀通詞(おらんだつうじ)の奮闘記。北海道では蝦夷錦をめぐる北の交易ルートの謎。対馬では、海を渡った日本人と朝鮮に築かれた巨大貿易施設が登場。歴史探偵が全国各地を駆け巡り、鎖国の真相に迫る。
出演者
【出演】佐藤二朗,【アナウンサー】渡邊佐和子ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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- 所長
- 朝鮮
- 北海道
- 木村
- カラ
- ゴローウニン
- ロシア語
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
ありがとうございました。
「歴史探偵」 今夜のテーマは…
江戸時代の日本は
鎖で固く扉を閉ざしていた。
そんなイメージ ありませんか?
実は 海外へとつながる窓口が
あちこちに開いていたんです。
まずは 異国情緒あふれる長崎。
外国との懸け橋になった人たちの
知られざる物語が
ありました。
続いては 北海道。
あっ ありました! これです。
竜の文様が
施された衣装。
北の大地に秘められた謎が 明らかに。
調査は 鹿児島
そして対馬へ。
海外に開かれた 4つの窓口を調べ
鎖国の真相に迫ります。
「歴史探偵」 調査開始です。
♬~
うぅ~…。
ちょっと 所長 どうしたんですか。
そんな真剣に。
いやいや いや あのさあ
もう 何か息子がね 小学生の息子がさ
最近ね 歴史の問題を すごい出すの。
3択の問題を。
しかもね その3択の問題が
ほんと絶妙で
武将の名前とか ほんとにありそうな
名前を言ってくるもんだから
この間 ほんとね
8問ぐらい 連続で惨敗で。
駄目だったんですか?
答えられなかった…。 駄目だったんだよ。
だから 悔しいからね
ちょっとね 勉強しなきゃと思って
ちょっと読んでるんですよ。
ちょっと!
だって 探偵社 結成してから
もう 1年近く たってんですよ?
まあね~ うん…。
で? 今 何時代までいったんですか?
えっとね 江戸時代までいきました。
あっ! 江戸時代はいい。
今回のテーマ 「鎖国」ですから。
そうです。 ちょうどいいじゃないですか。
まあ 鎖国は もちろん知ってますよ。
あの 海外との交流が
禁じられてたんでしょ?
でも 「鎖国」っていう言葉が
実は今 教科書に残るかどうかが
大きな議論になってるんですよ。
おい ちょっと待って下さい。
教科書に 何?
消える可能性があるってこと?
そう。
いやいや だって
私が中学 高校の時なんか
もう かっことか 注釈じゃなくて
ど真ん中に ドーンて書いてあったよ。
そんな 鎖国なんていう ベーシックっていうか
基本中の基本のね 江戸時代のことを
勉強する方としては大問題じゃないか!
そうなんです。
こりゃ大変だ。
ということで
鎖国の実態 どうだったのか
今回は 海外へつながる4つの口を
私 調査してきました。
あっ 4か所も!
そのうちの1つ目
これは 所長も イメージあると思います。
こちらです。
はい 長崎ね。
そうなんです 長崎。
ここにはですね
海外と 最前線で向き合った人たちの
ドラマがありました。
まずは 今回の調査に協力してくれる
専門家と合流します。
江戸時代の
日本と海外との関係について
研究しています。
そこに行って お話ししたいと思います。
木村さんが案内してくれたのは…。
あっ これ… これが出島ですか?
(木村)はい。
出島は 徳川幕府がつくった人工の島です。
広さは 東京ドームの
3分の1ほど。
オランダ人たちが
住んでいました。
(木村)そうですね はい。
さあ ここから出島の中を探検です。
じゃあ 出島に入りま~す。
失礼しま~す。
これが…
あっ 何かこう…
(木村)そうですね はい。
出島は 昭和になって
大規模な復元工事が行われました。
江戸時代の建物が
忠実に再現されています。
だから ちょっと2階は
この洋風な感じになっていて。
(木村)そう ちょっと
おしゃれにしてあるんで はい。
江戸時代…
出島には 商館員や召し使いなど
20~30人が暮らしていたといいます。
オランダ人は
当時 貴重だった 砂糖や生糸を
出島に持ち込み
大きな商いを行いました。
出島の絵を見ると
たくさんの日本人も描かれています。
両者の交流が
盛んに行われていたようです。
そんな中
必要不可欠な人たちがいました。
それが…
「通詞」とは 通訳のこと。
オランダ人との
交渉の最前線に立ちました。
彼らを調べれば
鎖国の真相が
見えてくるかもしれません。
阿蘭陀通詞たちは
出島の端にある
「通詞部屋」という
建物に
常駐していたと
いいます。
向こうが道路で…
(木村)そうですね はい。
ここが 通詞が暮らした
場所のはずなのですが…。
出島を復元する際
この場所には
既に路面電車が走っており
通詞部屋を造ることは
できませんでした。
路面電車によって阻まれた 鎖国の真相。
しかし ここで
諦めるわけにはいきません。
阿蘭陀通詞の実態を
調査するため
長崎市内の
博物館に向かいます。
ここには 通詞たちの仕事ぶりを記した
貴重な史料が残されていました。
えっ これ 中身は
どういった内容なんですか?
(木村)例えば こういう…。
あっ。
(木村)そうですね はい。
「引力」という言葉は
江戸時代の後期まで
日本には存在しませんでした。
あれ 今で言う引力と同じ意味?
同じ意味ですね。
物が 地面に引き寄せられる力。
オランダ語では これを
「Zwaartekracht」と言っています。
地面が リンゴを引き寄せる…。
ならば 「引き寄せる力」。
「引力」というのは
どうじゃ。
良いと思います!
えっ ちょっと待って下さい。
「引力」って…
そうなんです。
ええ~!?
そんなん 知らんかったわ そんなん。
他にも…
…など 通詞たちは
科学の基礎をなす言葉を
生み出していきます。
通訳の枠組みを超えた
学問の探究者だったのです。
…という
まあ そういうことになるわけです。
そうですね やっぱり…
…と思うんですね。
最先端の科学者。
そんな阿蘭陀通詞たちに
大きな変化が訪れます。
長崎を揺るがす
大事件が起きたのです。
あっ 長崎奉行のお墓。
切腹をした…?
(木村)はい。
長崎を治める…
その原因と
なったのが…
イギリスの軍艦が
長崎に侵入した一大事です。
当時 オランダ以外の
ヨーロッパの船は
長崎に入ることを
禁じられていました。
出ていけと迫る幕府に対し
イギリスは 大砲を誇示。
港に居座り続けます。
この時 うまく対応できなかった
長崎奉行は切腹。
更に 英語ができず
思うように 交渉が進められなかった
阿蘭陀通詞にも
非難の目が向けられました。
肝心な時に 役に立てなかった阿蘭陀通詞。
幕府から 試練を与えられます。
多言語をマスターせよと
命じられたのです。
これ だって大変よ そんなん。
1つの言語ね 覚えるのも大変。
英語とフランス語は 出島の
オランダ人から教わることができました。
しかし どうしても
学べない言語がありました。
北の強国 ロシア。
このころ 東へ向けて
急速に領土を拡大していきます。
そして…
ロシア船が
北海道を襲う事件が発生。
幕府にとって 解決しなければならない…
一刻も早く ロシア語を
学ばなければならない通詞たち。
そんな折 北海道で
新たな事件が起こります。
なに!?
国後島で ロシア船が
捕らえられたというのです。
船長の名は ゴローウニン。
海軍の軍人で
千島列島を
測量していたところを捕縛されました。
ロシアの情報を聞き出す 絶好の機会。
この重要な交渉を任されたのは…
乗組員への尋問のため
馬場は 急遽 蝦夷に向かいました。
そして 何とか覚えた
挨拶程度のロシア語で
ゴローウニンに挑みます。
馬場のロシア語では
情報を聞き出すことは
できませんでした。
(上役)なに? 何も聞き出せなかった!?
はっ。
はぁ… その方 通詞であろう。
異国の言葉を解するが
役目ではないのか?
(馬場)はっ。
途方に暮れる 馬場。
そんな時 思いも寄らないことが…。
ゴローウニンが
突然 馬場に話しかけたのです。
このままでは
いつ 釈放されるか分からない。
獄中のゴローウニンも また
馬場と話をしたいと考えていました。
しかし 言葉が通じない2人。
どうやって コミュニケーションを
とったのでしょうか。
何かね 共通のね
何かがあればね。
そのカギとなったのが
馬場が持ち込んだ…
阿蘭陀通詞の馬場は
オランダ語が話せます。
一方のゴローウニンは
ロシア語だけでなく
当時 国際語だったフランス語も
話すことができました。
どうなんだろ。
馬場が持ち込んだ辞典が
2人の間をつなぐ
奇跡を起こしたのです。
なるほどね。
つながりました。
馬場の熱意に打たれた
ゴローウニンは
ロシア語を教えるようになります。
ゴローウニンが書いた
ロシア語の文法書です。
例文には
こんな文章が
載せられていました。
それから1年後の 1813年。
日露の交渉が実り
ゴローウニンは ロシアへと帰国します。
ロシア語を身につけた馬場は
更に 英語も習得。
語学の教科書を出版し
江戸で 人々に外国語を教えます。
その遺産は
弟子たちへと受け継がれ
幕末 アメリカやロシアなど
海外諸国との交渉に
生かされることになります。
言葉の壁を乗り越えた 阿蘭陀通詞たち。
幕末の開国を陰から支える
原動力になったのです。
いや~ 阿蘭陀通詞 すごいな。
ごめんなさい。 私もね
所長を 1年やっとりますけどね
さっき 勉強しておりましたけど
阿蘭陀通詞って
ごめんなさい 初めて知ったんですよ。
通訳の能力もさることながら
「引力」とか「遠心力」とか。
ああ それもびっくりした。
今 私たちが使っている言葉を
実は 阿蘭陀通詞が作っていたっていう。
感動しました 私。
で しかも…
あらま!
外国の人が 当時の日本のことを
「閉ざされた状態だった」というふうに
書いたものを
阿蘭陀通詞が訳して 「鎖国」っていう
言葉が出来たそうなんですね。
なるほど。 ますます ちょっと
興味 湧いてきましたよね。
いやいや 湧いてきたよ。
知りたいよ もっと。
そんな所長 そして皆さんに
お薦めの番組があります。
番組!?
阿蘭陀通詞のドラマ「わげもん」。
NHK大阪放送局が作っておりまして
現在 放送中です。
<土曜ドラマ>
(神頭有右生)お前は まだ
長崎を知らない。
江戸時代
西洋への唯一の窓口だった長崎で
海外の情報収集や 外交交渉で活躍した
阿蘭陀通詞。
幕末の 波乱の時代に
言葉を武器に戦う若者たちの
激動の日々を描きます。
土曜ドラマ「わげもん ~長崎通訳異聞~」。
お楽しみに。
いや~ 狙い澄ましたかのように
PRを持ってきましたね。
はい 今回のテーマに
ぴったりです。
いや~ 面白そうだね。
是非ね 興味持った方は
見て頂ければと思います。
そうだね うん。
さあ ここまで 1つ目の口 長崎を
見てきたわけなんですけれども
続いて 2つ目の口 こちらです。
お~っと 北海道 行ったね。
北海道の南部 松前。
ここがですね…
蝦夷とつながる
玄関口になっていたんですね。
で この蝦夷に伝わる
あるものを調べると
日本の北で行われていた
交易の実態が見えてきました。
北の大地 北海道。
江戸時代は 「蝦夷」と呼ばれていました。
アイヌ民族の貴重な資料を
展示している博物館に
興味深いものがあるといいます。
竜の文様が特徴的な絹織物。
すごい きれいですよね!
すごいねえ!
豪華だし。
うわ~ すごい 何か見事な…。
色鮮やかな生糸で
繊細な刺繍が施されています。
いや~ 細かいですね。
ねえ ほんとだね。 爪までね。
蝦夷に住んでいた
アイヌの人たちの絵を見ると
やはり 竜が描かれた
鮮やかな蝦夷錦が。
実は この蝦夷錦。
江戸時代に大流行し
日本の文化を
支えるものに
なっていました。
江戸の歌舞伎役者を描いた
浮世絵です。
あっ これも竜だねえ。
舞台映えする 派手な衣装に
蝦夷錦が使われました。
(拍手)
更に こんなところにも。
日本三大祭りの一つ 京都の夏を飾る…
最大の見どころ
山鉾巡行にも…。
分かります?
あ~ ほんとだ
竜だね。
そう。 誇らしげに飾られていますよね。
江戸時代から受け継がれてきました。
なぜ 蝦夷錦は これほどまでに
人気を集めたのでしょうか。
その秘密を解くカギが
江戸時代の日本地図にありました。
北海道 つまり蝦夷が
ほとんど描かれていません。
蝦夷は 外国のように考えられ
ここから来たものは
異国情緒あふれる品として
もてはやされたのです。
蝦夷からやって来た 蝦夷錦。
しかし ここで大きな疑問が…。
江戸時代 素材の生糸は
寒い北海道では
作ることができませんでした。
蚕が飼えないってことですよね。
あ~ 寒くてってこと。
つまり 蝦夷錦は
もともと 蝦夷ではない場所で作られた
可能性が高いのです。
なんてことだい。
あ~ 走るねえ。
では 蝦夷錦は
どこからやって来たのか。
謎を解くため 名古屋へ向かいました。
(スタッフ)失礼しま~す!
あっ 先生
本日は よろしくお願いします!
あ~ 軽いなあ。
最新科学で
蝦夷錦のルーツに挑んでいます。
カギになるのは
蝦夷錦が作られた年代だといいます。
ほつれた糸くずを譲ってもらい
成分分析を行いました。
まず 糸を高温で燃やし
不純物を取り除きます。
出来上がったのは 「黒い結晶」。
炭素が固まったものです。
この炭素を詳しく調べると
蝦夷錦が作られた年代が分かります。
小田さんは 日本に現存する蝦夷錦
およそ80点のうち…
データが
こちらです。
これまで測定してきたものを
ず~っと まあ 見てやりますと…
蝦夷錦が 集中的に作られ始めたのは
1650年ごろだと判明。
そこから
小田さんは
一つの推論を
導き出しました。
「清王朝」とは
中国を支配した巨大帝国です。
皇帝の衣装を見ると
蝦夷錦のシンボルの
竜の文様が施されています。
清が
中国を統一したのが
1644年のこと。
小田さんが
導き出した
蝦夷錦が
作られ始めた年代と
ぴったり
一致します。
蝦夷錦のルーツが 中国だとするならば
どのように
蝦夷に もたらされたのでしょうか。
その謎を解き明かすために
専門家を訪ねました。
アジアの北に住む民族を
長年 研究してきた…
江戸時代 蝦夷錦の流入ルートの
調査に挑んだ
日本人がいるといいます。
サハリン
元の樺太が
島であることを
確認した
探検家です。
樺太の探検を終えた
間宮は
実は 海を渡り
ユーラシア大陸へと 足を運んでいました。
そして ある町に たどりつきます。
その名は 「デレン」。
デレン。 初めて聞いた。
極寒の地に 夏の2か月だけ設置された
幻の町です。
その時 間宮が見たものを描いた絵。
町の様子が 詳細に捉えられています。
デレンには 交易を行うため
さまざまな民族が集まりました。
町を治めていたのは…
そこで間宮は
役人の すぐ横に
置かれたものに気付きます。
反物が置いてありますよね。
あれが そうです。
(スタッフ)あの反物が…。
(佐々木)あの反物の中に
あれ 恐らく
ほとんどは綿織物でしょうけど…
実は…
そして この蝦夷錦を入手したのが
アイヌの人たちです。
蝦夷錦は
彼らの手で 蝦夷に運ばれます。
そして 日本へと渡ってきました。
鎖国の中 北へ開かれた海外への窓口。
それは 北のシルクロードへと
つながる道だったのです。
北にもね。
ぐる~っと回って 入ってきたんですね。
ぐるっと回ってね。
いや 知らなかったです。
そうなんです。 この 日本の北の口って
今まで 長年 あまり
注目されてこなかったそうなんですよね。
ただ 近年 実は
すごく重要なルートだったんじゃないか
というふうにされているんですよ。
で 蝦夷錦だけではなくって
所長も大好きな…
入ってきてたんじゃないかと。
北海道の海産物って
まあ もう言わずと知れた
本当に どれも おいしいもんね。
はあ~ そうか。 それにしてもあれだね
間宮林蔵さんて
蝦夷錦 求めて
ねえ 大陸の奥まで。
行ってましたね。
行ったんだね すごいねえ。
ほんとに デレンまでね
行ったって
すごいと思いますけど
間宮の本業っていうのは
実はですね
幕府の隠密なんですよ。
隠密!?
はい。 幕府の隠密っていうのは
いわゆる 今で言うと
政府のスパイみたいなものですね。
あれですか あの まあ CIAとか
何か特別捜査官みたいなことですか。
あっ いいですね。
そんな感じですね はい。
で もしかしたら
その蝦夷錦っていうのは
密貿易で
日本に入ってきてるんじゃないかと。
そういう嫌疑っていうか
疑いがあったわけだ。 そうです。
で 一体 どこから どういうルートで
入ってきたのかっていうのを
多分 追っているうちに
あそこまで行ったんじゃないか。
じゃ その密貿易を取り締まるのが
仕事だから
あそこまで行ったわけだ。
そうですね。
で その密貿易をしていたんじゃないか
っていうふうに疑われたのが
松前藩なんですね。
松前藩というのは 北海道の南端の藩。
南部のね あそこですね まさに。
はい そうです。
ただ まあ 実際は…
アイヌの人たちは
結構 借金を重ねてまでですね
蝦夷錦を持ってきたんですね。
ただ…
…ということで
まあ その蝦夷錦は
非常に美しいですけれど ただ…
何か あんな美しい
その絹織物の裏にね
何か ちょっと
悲しい歴史があったんですね。
さて 鎖国の中にあって開かれていた
3つ目の口。
3つ目の口。 北と南が来たぞ。
ヒントはですね こちらなんですよ。
あら。
ちょっと重い。 はい こちら。
お~っと サツマイモ。
誰が どう見ても サツマイモ。
3つ目はね ここから 海外との
交易の道を探ってまいりましょう。
はい ということで
3つ目の口は こちら。
薩摩ですね。
薩摩というと まあ鹿児島ですよね。
はい そうですね。
薩摩から来たから サツマイモというのは
よく知られた話ですけれども
所長。
うん? ん? えっ サツマイモは
日本全国 どこ行っても サツマイモでしょ?
えっ 違うの?
薩摩の人は違う呼び方をするわけ?
はい。
何て呼んでると思います?
え~ 何だろう? 全然分かんない。
何だろう 鹿児島… カ… ん~ モ!
正解は こちら!
おい!
実際に 鹿児島に行って
サツマイモが どう呼ばれているのか
聞いてきました。
指宿ですよ~。
うん。
(スタッフ)たった今 収穫してます!
この辺りじゃ 何て呼ぶんですか?
これは まあ 自分は…
あれ 皆さん カラいもだ。
うん カラいも。
いや 私 ごめんなさい 勉強不足で
「カラいも」って ほんとに
52年で 初めて聞いたんですけど。
ええ そんな… だって サツマイモは
ずっとサツマイモだと…
どこでも サツマイモだと
完全に思い込んでました。
ですよね。
でも そのカラいも…
カラいもって おっしゃるけど
その「カラ」っていうのは 何なんですか?
唐のことをカラと。
ああ! はいはい はいはい はいはい。
ですので そのサツマイモ カラいもは
中国 唐から渡ってきまして
この琉球を経て
薩摩 江戸時代の日本に
入ってきていた
ということなんですね。
いや サツマイモ
もともと 中国原産だったんだね。
それがね…。
何ですか 先生!
違うんです。
ちょっと待って下さい!
どう… 違うんですか?
次々 真相が…。
コロンブスが
アメリカに行ったじゃないですか。
そこで その
サツマイモを見つけて
ヨーロッパに運んだと。
で まあ
その時期 大航海時代なので
ヨーロッパ人は どんどん
世界中 回るじゃないですか。
なので そのヨーロッパに入った
サツマイモが アジアに伝わり
そして
日本に入ってきたというですね。
ちょっと待って下さい。
今 お茶の間で
サツマイモ 食べてらっしゃる方は
多分 何万人… 何千人は 少なくとも
いらっしゃると思いますけど
びっくりしましたね サツマイモ。
もう 世界のいろんなとこ回って。
はい。
地球の裏側のものを
あなた 今 食べてますよ。
もう カメラ どこ行って
見て 言っていいか分かんない。
そうか 薩摩というのは
そんな遠くまで つながってたんですね。
そうですね。
でね 所長 実はサツマイモ以外にも
江戸時代には 長崎や薩摩から
たくさんの
新しい野菜が入ってきたんです。
それを持ってきました。
キャベツでしょう?
ホウレンソウに トマト
そして アスパラガスと
インゲン豆などなど。
ありゃ!
いや でも 野菜だけじゃなくて
ほんとに いろんなものが
実は 日本に 海外から
江戸時代 入ってきてたんですよ。
例えば エジプトのミイラが
輸入されてます。
ミイラ!?
はい。
ミイラが輸入されていた。
輸入されてる。
ちょっと ごめんなさい。
もう あまりのことに
よく分からないんですけど
ミイラを 何のために輸入するの?
はい それはね
見せ物ではなくて…
薬?
はい。
えっ ミイラを
もしかして その… のむ?
のむ。 服用するんですね。
それは ごめんなさい。 正直 言うと
あの~… 何か呪われそうなんですけども。
そうですよね。 ただ 実際…
いろんなものに効くんですよ 貧血とかね。
実際 効くんですか?
僕も どうなのかなって調べたら
ミイラに 遺体に
防腐剤を塗るじゃないですか。
あれ ミツバチのプロポリスが
防腐剤として使われていて
恐らく 実際に
ちゃんと 薬として役立ったようですね。
なるほどね。
さて いよいよ
最後 4つ目の口にいきたいと思います。
それが こちらです。
どこですか?
おお!
九州の北の 対馬ですね。
どんな物語があったんでしょうか。
さあ 所長 4つ目は対馬に来ました。
海が見えますよ。
海の先に見えるものとは…。
あっ…
白い玉の更に向こう。
対馬から 僅か50kmの距離にある韓国。
古くから 交流が続けられてきました。
江戸時代には 朝鮮から
米 絹 そして朝鮮人参などが輸入され
長崎の出島を はるかに超える量の貿易が
行われたといいます。
日朝の交流の真相を探るため
江戸時代に貿易が行われていた
港を訪ねました。
う~ん…
ここに 何か残ってますかねえ?
地元の方々に 話を聞いたのですが
当時を物語るものは
ほとんど残っていないそうです。
対馬の港では
日本と朝鮮との貿易の実態を知ることは
できませんでした。
♬~
日本で 答えが見つからないのなら
お隣…
アニョハセヨ!
日朝関係の研究を行っている…
カンさんがいるのは
韓国第2の都市 釜山。
日本と朝鮮の貿易の真相について
聞いてみました。
対馬の人々が
朝鮮に渡っていた?
えっ ちょっと待って下さい。
江戸時代に出された お触れには
こんなことが書かれていました。
「異国に渡った人は…」。
日本人が朝鮮に行くなんて
本当に
そんなことが できたのでしょうか。
「倭館」とは
釜山にあった町の名前です。
広さは およそ10万坪。
なんと 出島の25倍にあたります。
朝鮮に 巨大な日本人町が
築かれていたのです。
まさに 出島の海外バージョン
という感じですね。
倭館に滞在が許されたのは 男性だけ。
500人ほどが
暮らしていました。
対馬の男性の 20人に1人が
いたことになります。
え~! すごいね。
対馬に 出島のような貿易施設が
つくられなかった理由。
それは 日本人が朝鮮に渡り
取り引きを行い
荷物だけを 持ち帰っていたからでした。
江戸時代 海外に渡った者は死罪のはず。
なぜ 対馬の人たちだけが
許されたのでしょうか。
失礼しま~す。
よろしくお願いいたします。
お願いしま~す。
学芸員の丸山さんは
対馬に残る史料を
研究しています。
うわっ すごい数の史料が
山積みになってますね。
江戸時代に
対馬を治めていた
宗家の記録です。
8万点もの文書が残されています。
その中に
謎を解くカギがありました。
こちらは 「館守条書」という史料です。
「館守」とは
倭館の一番上の役職のこと。
ここには 館守が
朝鮮で行っていた
極秘任務が
記されています。
(丸山)こちらですね。
この…
ここに書いてある内容なんですけれども。
つまり…
海外のことを知るすべが限られていた
江戸時代の日本。
朝鮮から もたらされる東アジアの情報は
極めて貴重でした。
対馬の人たちがもたらした情報は
日本を救います。
1644年。 中国 明王朝の首都 北京に
あの清が攻め込んだ時のことです。
明からの援軍派遣の要請が
日本に届きます。
明を救い 清と戦うべきか否か。
この時に 幕府の決断に
大きな影響を与えたのが…
明側の劣勢を知った幕府は…
日本は すんでのところで
戦いに巻き込まれませんでした。
対馬の人たちが 朝鮮に渡って
貿易を行うことができた理由。
それは 江戸幕府にとって
必要不可欠な
情報ルートだったからです。
う~ん。 江戸時代に その 海外にね
日本人の町があったなんていうのは
初めて知ったし 驚きですね。
海外に行ったら
当時は 死罪とされていましたから
ちょっと まさかの展開に
調査していて
私も ほんとに驚いてしまいましたね。
倭館で その 外に行ったり 観光とかは
できたりしたんでしょうかね?
それはね 絶対にできないです。
できない。 はい。
やっぱり ほんとに
日本も鎖国してましたけど…
ですから…
なるほどね。
いや~ いや だけど その江戸時代
これだけ 世界と
つながっていたらですね
もう 教科書で 「鎖国」っていう言葉を
どうするかっていう議論になるのも
まあ 分かりますわねえ。
だから これから もしかしたら
「鎖国」っていう言葉は
なくなる可能性は
結構 あるんじゃないかなと
思ってますね。
長崎しか
あんまり印象なかったから 驚きですよ。
この 4つも口があったのはね。
これで もう 所長も
江戸時代 息子さんに教えられますよね。
鎖国はね あの~ ばっちり。
だけど それ以外は まだちょっと…。
僕 所長の代わりに
家庭教師しましょうか お子さんの。
おっ!
ちょっと 値段は高いですけどね。
あっ 今 値段 聞こうと思ったら
先手打たれた。 値段 高いんですって。
ちょっと お友達価格でどうですか
先生。
ちょっと考えてみます。 後で はい。
後で ちょっと ご検討下さい。
大丈夫ですよ
適正価格で請求して下さい。
ちょっと待って下さい 副所長。
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