出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 布袋寅泰[解][字]
~妻・今井美樹さんとのロンドン生活を明かす~布袋寅泰さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
昨年、東京パラリンピック開会式で演奏し話題を呼んだ布袋寅泰さんがゲスト。人気ミュージシャンの意外な素顔、どうぞお見逃しなく!
◇番組内容
10年前、50歳の時に一念発起し妻の今井美樹さん、愛娘と共にロンドンに移住した。日本でミュージシャンとして成功していたとはいえ、英国では全くの無名。“夢の地”だったロンドンでの暮らしを赤裸々に明かす。美樹さんは移住後、語学学校に通い英語を勉強。そんな美樹さんに週に2回、花を贈るという布袋さん。花で溢れる自宅や家族のために作った手料理の写真を披露、暮らしぶりを語る。また、9年前に亡くなった母への想いも…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 毎日
- パラリンピック
- 一緒
- オファー
- ファン
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)去年
東京パラリンピックの開会式で
演奏なさいました。
そして 話題を呼んだ この方
布袋寅泰さん 今日のお客様です。
どうぞ こちらへお入りください。
まあ… どうも。 お背が高い。
どうも お久しぶりです。
どうも お久しぶりでございます。
とても楽しみにしていました。
どうも ありがとうございます。
音楽活動40周年という事で
『紅白歌合戦』にも
ご出場になりました。
どうも。
どうも お久しぶりです。
お久しぶりです。
10年前から
イギリスにお住まいになったって。
そうなんです。
もう10年なんですよね。
もう10年なんですね。
はい。
随分 お背 お高いのね。
もう… でも ちょっとずつ
縮んでるような気も
するんですけどね。
でも 大体のとこは
何センチぐらい?
今ね 180… 昔 187でしたけど
186 もしくは185.5ぐらいに
なってるんじゃないですか。
でも まあ 一応は187。
でも 最近の方は
結構 大きいですよね 若い方。
そうですよね。
去年 東京パラリンピックの
開会式で
演奏をご披露なさいました
この方
きっと ご存じだと思いますけど。
映画『キル・ビル』のテーマ曲として
世界的に有名になった曲で
登場なさいました。 これです。
♬~
すごい。
この開会式は
黒柳さんも ご覧になりました?
見ました 見ました。
すばらしかったですよね。
でも あのギター すごかったです。
ありがとうございます。
でも このギターのオファーが
あった時は
どんなお気持ちでした?
これはですね
昨年の3月に
オファーがありまして
僕は その時 ロンドンにいて。
ロンドンは
非常に厳しいロックダウン中で
一歩も家から
出れない状態だったんですね。
お話を伺った時に
まずは 日本に帰れるんだろうか
っていう事と
やはり コロナの初期の頃は
皆さん 心配でストレスもあって
オリンピックもパラリンピックも
ねえ ちょっと こう…。
果たして 今 やるべきかどうか
っていうお話も
あるぐらいだったから
初め 正直言って
ちょっと迷ったんですね
引き受けるべきか。
でも やっぱり 音楽で ねえ
頑張ってる皆さんを応援する
っていうのは
ミュージシャンの
冥利に尽きる事ですから
参加を決めてからは
心迷う事はなかったですけど。
アトランタオリンピックの
閉会式の時ですか。
そうなんです。
演奏なさった事あるんですね。
そうなんです。 こちらはね
イギリスの作曲家の方から
オファーがあって
僕がアトランタへ
飛んだんですけど。
あっ そうなんですか。
まさか だから こうやって
オリンピックの閉会式… あと
パラリンピックの開会式をね
こうやって経験できるなんて
夢のようです。
ねえ 日本でね。 本当。
実際 演奏なさってみて
どうでした?
いや 僕はね お話 来た時に
もちろん 僕がパフォーマンスする
というお話ではあったけど
まずは演出に沿った
音楽を作曲する
というオファーもあったんですね。
ええ。
で 『片翼の小さな飛行機』…
車椅子のソヨカちゃんが飛べる…
自分は飛べるっていう事を
信じてはいるんだけど。
飛ぼうかどうしようか
迷ってるところを
仲間たちの色んな姿を見て
影響を受けて
最後 飛び立っていくっていう
そのストーリーを
音楽で表現するという
大役でしたから。
しかし やっぱり
ミュージシャンとしては
やりがいのある仕事でしたし
実際 自分がパフォーマーとして
出るというよりも
そのストーリーを
いかに音楽で表現するか
っていうところが
楽しかったですし 大変でした。
そうですか。
去年は ちょうど音楽活動40周年。
そうなんです。
そうなんですね。
もう40年ですね。
ねえ。
で 年末には『紅白』にも
お出になったでしょ?
そうなんです。
『紅白』は どうでした?
いやー 緊張しますね。
僕 紅組では
今井美樹さんや石川さゆりさんの
お供をさせて頂いて。
あっ そうなの。
紅組はあったんですけど
白組でソロで出るのは
初めてだったので。
でもね こうやって
コロナで 皆さん 我慢して
一生懸命 こらえてる中で
やっぱり 年を越える時に
よし 頑張ろう! そして
今年 お疲れさま! っていうね
そういう気持ちを伝えられて
本当に うれしかったです。
あっ よかったですね 本当にね。
私も拝見致しましたけども
よかったな。
でも それを… 放送を
奥様の今井美樹さんは
ロンドンで
見てらしたんですって?
そうなんです。
僕はパラリンピックで
昨年 日本に帰ってきてから
本当は ロンドンと日本を
何度か往復しながら
仕事をしようと
思ってたんですけど。
やっぱり
コロナの状況もありますから
2週間の隔離だったり また…
いつ どうなるかわからないから
僕 それから
イギリスに帰ってないんです。
あっ そうなんですか。
だから 半年以上
家族と会ってないんですよね。
あららら。
でも 演奏 奥様
なんておっしゃってました?
いや 美樹さんも娘も
「かっこよかった」と。
「すばらしかった」と。
あっ そう。 よかった。
やっぱりね
パラリンピックも『紅白』も
今は… この時代は
世界中で見れますからね。
そうですよね。 そうですか。
だから 終わったら
すぐ連絡が来ましたね。
そうですか。 よかったって。
よかったですね。
奥様の美樹さんは
ロンドンで一人暮らし?
今 現在は。
そうなんです。 10年前に…
僕が50の声を聞く時ですね。
で 美樹さんは1つ下ですから。
そして 今 娘がいまして
娘が今年 二十歳なんですけど。
僕らの50代と娘の10代を…
家族 ちょっと力を合わせて
新しい冒険と挑戦を異国で
スタートしようと言ってから
10年なんですけど。
ええ。
娘も昨年 大学受験で
大学に受かりまして。
ロンドンで。 すごい。
コロナの中
大変だったんですけど。
寮生活が始まったので
美樹さん 今1人なんですよね。
あらら。
本当は僕も その時に
帰る予定だったんだけど。
寂しいだろうなとは思いますけど
最近は ほら
テレビ電話っていうか…。
あっ そうですね。
顔が見れるから。
ねえ。
今でも 奥様とは
毎日 ビデオ通話してらっしゃる?
そうですね。 ほぼ毎日…
まあ 時間が違うので。
まあね 時差があるのでね。
そう。
こっちが「おはよう」と言うと
向こうが「おやすみ」ですから。
そうですね。 ちょっとね。
でも お嬢さんは奥様に似て
センスがとっても…
ファッションセンス いいので
お嬢さんが洋服 借りにくる事も
あるんですって?
そうなんですよ。
背丈が もう ママと同じぐらい…
ちょっと高いのかな? 娘の方が。
あっ そうなの。
で とてもセンスがあって。
ママの服 着ればいいのに
パパの服 着たがるんですよ。
すごいね。
最近は ほら 若い人たちは
ストリートファッションで
ちょっと大きめの…。
ママのは ちょうどいいから…。
あっ そう。
でも なんか パパのやつ…
トレーナーとか色々…
フーディーとか借りると
なんか 返ってこないんですよね。
ハハハハ…。 そう。
まあ でも うれしいですけどね。
ただ でも
ファッションチェックが
厳しいですね。
あなたがお出になる時?
はい。 出かける時に
「パパ ちょっと ソックスの色が
違うんじゃないの?」とか
色々 言われますね。
あっ そう。
やっぱりね うるさく言うのね。
いやー でも 可愛いですね。
まあ 可愛いでしょうね。
でも まあ ロンドンに移住して
今年で10年。
イギリスに住むっていうのは
昔からの夢だったんですって?
そうなんです。
10代の頃 ギターを…
ロック… 洋楽ですね。
イギリスやアメリカの音楽を
聴き始めてから
当時はインターネットも
なかったですから
なんか 音楽を聴くと
世界中を旅するような
夢見心地にさせてくれるのが
ロックミュージックでして。
いつか このギターと共に
世界を旅するっていうのが
僕の夢だったんですよね。
なるほどね。 そうですか。
だから プロポーズなさる時に
奥様の美樹さんにも
イギリスに移住する
っていう事は…
夢は
お伝えになってたんですって?
よくご存じですね。
フフフフ…。
そうなんです。
いつかね 世界で挑戦したいから
その時は
一緒にチャレンジしてくれないか
っていう話はしたんだけど。
そのいつかが
いつか いつか いつかになって
先延ばし 先延ばしになっていて。
10年前
ちょうど震災もありました。
50という声を聞く時に なんか…。
何かにチャレンジするんだったら
まだ遅くないなと思ったし
当たり前の毎日が
当たり前に来るものじゃない。
一度きりの人生だし
よし ここで…。
僕だけのためというつもりは
なかったんだけど
言い出しっぺは僕でね。
フフフ…。
みんな ちょっと 渋々…。
娘は「パパの夢のためだったら
パパだけ行けばいいじゃない」
とかって言われましたけど
みんな ついてきてくれて。
お嬢様も… いいけど
初めは言葉が大変だったでしょ?
いやー 大変でしたね。
そうでしょうね。
ちょっと 日本では
準備してたんですけど
やっぱり 実際 学校に入ると
友達もいないし
また ブリティッシュアクセントは
独特ですから
もう 初めは かわいそうでしたね。
まあ イギリスでは
ゼロからのスタート
っていう事になるんで
電車にお乗りになったり
バスにお乗りになったりして
オーディション会場に
いらしたりしたんですってね。
そうなんです。 やっぱり
全然 仕組みが違いますし
やっぱり こちらではね
ファンの皆さんと共に
キャリア 積んで
自分のキャリアがあるけど
向こうでは全く無名ですから。
もう それこそ自分で名刺 作って
自分でギター担いで
バスに乗って 地下鉄に乗って
オーディションに行って
行っても行っても 駄目だったり。
あっ そう…!
でも そういう…
忘れていたものを思い出したし
ちょっと悔しい思いに
ワクワクする自分もいたりして。
うーん…。 まあ でも この10年は
無駄にならなかったと思います。
でも あなたのギターでも
やっぱり
落ちる時があるんですかね?
いや 僕はね あの…
お世辞でも上手なギタリストでは
ないんですね。
本当に?
うん。 譜面も読めないですし。
えっ? 本当に?
そうなんです。
すごい。
だから 本当に
感覚的にしか弾けないから。
でも その感覚が
バッチリ合ったら
すごく僕は
自分を表現できるけど
なんでもかんでも
できるタイプじゃないし…。
あっ そう。
だから 行ったはいいけれども
全く見た事もない
知らないコードとかがあると
もう そこで
ガックリしちゃったり。
そんな事あるんですか。
そうですね。
それは びっくりしましたね。
でも 向こうでは
小さなライブハウスで
演奏なさったりもなさって。
そうですね。
元々40年前に自分たちが
バンドでデビューして…。
ああ こういうのね。
本当に 目の前に
20人 30人のお客さんのとこから
スタートしましたから
こういう状況っていうのも
逆に楽しめるっていうか。
しかし でも コンサートやっても
お客さんが…
来て頂けないわけですよ。
チケットが売れないんですよ。
うん。 大変でしたね。
いや 大変でしたね。
それを何度か繰り返すうちに
例えば ヨーロッパの
ドイツやイタリアの
ライブハウスの方が
気に入ってくれて
「また次もやろうよ」って
言ってくれたりして。
この10年で ちょっとずつ人脈や
また あちらのファンの方も
増えてきて。
なるほど。
で よし いくぞ! と思った時に
コロナになっちゃって。
なるほどね。
色んな予定が また 全部
あれになっちゃいましたけどね。
でも ローリング・ストーンズと
共演した時は
娘の学校の校長先生が驚いたって。
そうなんです。
学校の方々は
うちの娘のお父さんは
日本でギタリストだって事は
知ってるけど…。
それ イギリスでね。
そうそう。 全く知らないんで。
「ローリング・ストーンズと
やってきたんだ」って言ったら
校長先生が
「お前ん家のお父さんは
すごいな」と。
フフフフ…。
これ 左の人はミック・ジャガー…。
そうです。
今 映ってる この人。
左側の人。 ミック・ジャガー。
これも貴重な体験でしたね。
すごいですね。
まず 東京ドームに行ったら
ミック・ジャガーの
楽屋に呼ばれて
そこで いきなり口で
「今日は こんな感じでやろう」って
言われるわけです。
で エアギターで
キュンキュンキュン…。
「次 こうやるから
お前 ここでいけ」とか
そんな打ち合わせをして
いきなりステージで。
ちょっと ロンドンでの
ライブをなさった時のVTR
ちょっと見て頂きます。
これは若い頃ですね。
初めてのロンドンライブの…。
初めての時。
ドキュメンタリー映画からの
一コマですね。
この頃から夢だったんですよね。
これは2013年ですね。
あっ 本当だ。
「サンクス フォー カミング トゥナイト」
「(拍手と歓声)」
「アイ ウィル ホープ ユー
オール エンジョイ トゥナイト」
「(歓声)」
♬~
すごい。 もっと見たい。 残念。
ありがとうございます。
英語は
どうやって勉強なさいました?
いや 僕は
いい加減なんですよね。
ちゃんと読み書きを
しっかり勉強しないので
全部 いい加減なんですけど。
でも 僕らの世界は
音楽の話は…
やっぱり 音楽は共通言語って
昔から言われるように。
ちょっと 単語が間違ってても
文法が間違ってても
通じちゃうもんだから。
そりゃそうですよね。
いい加減なままですね。
そうですか。
でも 奥様は
英語の学校に通ったりなすって。
そうなんです。
彼女は僕と逆で
本当に真面目な人だから。
で 近所のね
スクールっていっても
10代の他の外国から
仕事や勉強で来た
若者たちの通ってるスクールに
一緒に行って。
フフフフ…。
なんかね 「19歳のお友達が
今日 できたんだ」なんて
言いながら… 喜びながら
一生懸命やってますね。
偉い。
偉いんですよ。 もう本当ね
頭が下がります。
まあ 奥様の今井美樹さん
っていう方は
モデルでもいらっしゃるし
それから あと
歌手でもいらっしゃる。
そうですね。
そうですよね。
そして 妻でもあり 母でもあり…。
そうそう。
この10年は 異国で歌の仕事も
制限しなければいけなかったし。
娘に集中したい
っていう事もあって
色々 我慢して 僕たちの分まで
闘ってくれましたね。
そうですか。 よかったですね
いい方とご一緒になってね。
本当ですね。
でも やっぱり 日本と違って
我々 歩いていても
誰も気が付かない…
ロンドンですから。
2人で よく地下鉄に乗ったり
バスに乗ったりして
デパート… ハロッズに行ったり。
うん。 いいわね。
日常生活を楽しんでますけどね。
でも 行きつけの花屋さんが
あるんですって?
そうですね。
僕 花が好きで こう見えて。
で イギリスは
やっぱり ガーデン…
ガーデン…
カルチャーがありますから。
うちも 本当
ちっちゃい庭があって
こういうふうに
ちょっとずつ苗を買ってきたり
種から育てたりしながら
ロックダウン中は
いよいよ 禁断の園芸の世界に
手を出してしまいましたけどね。
禁断の。
でも 週に2回 美樹さんに
お花をお買いになったり
するんですって?
そうです。 やっぱり 向こうは
コンビニエンスストアにも
お花が売っていたり
すごく身近にお花がありますね。
すぐ手に入る。
例えば バレンタインデーとかも
あれは男性が女性に
バラをプレゼントする日だったり。
男の人が街で花を持っていても
全く… なんていうの?
照れないっていうか。
なるほどね。 うん。
布袋さんは
お料理もなさるんですか?
まあ 男の料理ですけどね。
でも 嫌いじゃないんです。
あっ そうですか。 これ そうで…
お作りになったもの?
まあ 切って
並べただけなんですけど。
僕 ちょっと 花を飾ったり
キャンドルをあれしたり
ちょっと 華やかに
毎日がパーティーみたいに…。
本当ね。
なんて事ないものなんですけど
飾り付けがね…。
でも 奇麗 色が。
これは娘の好きな
シーフードと
生ハムのパスタですね。
ええー おいしそう。
こうやってね ちょっと
点数を稼いでるんですけどね。
フフ…。 そうですか。
テーブルセッティングにも凝る?
そうですね。
なんか 僕は やっぱり
人が喜ぶのが好きですよね。
人が喜ぶのを見るのが。
ああ やっぱりね。
それは みんなが
あそこへ座る時に
うわー! って
言ったりするのはね。
そうですね。
あそこに鶏だかなんだかの…
七面鳥だかなんだか
丸焼きみたいな…。
そうですね。
あったり。
まあ 家族は またパパが
頑張っちゃってるって
ちょっと 煙たいのかも
しれないですけど。
僕は楽しんでますけどね。
そうですか。
でも コロナで
ロックダウンも経験なさったし
それから 自宅で
レコーディングなさった事もある。
そうなんです。 一歩も
出れなくなってしまったので
曲 作ったり あとは
ミュージシャン仲間と
スタジオに入って
ワイワイ こうね…。
すごい。 これ ギター…
全部 あなたのギターですか?
はい。 これはね 自宅のね
ダイニングを
スタジオに見立てて
楽器を運んで
ここでね ちょっとずつ
自分でやるように
なったんですよね。
すごい。
でも 歌を録音中か
演奏していらした時か
ピンポーンなんて
配達の人が来たりして…。
そうなんです。
配達が来たり 犬が鳴いたり
もうね 大変ですね。
コメディー映画みたいな…。
へえー 面白い。 フフフフ…。
でも ねえ やっぱり
1人でやるのは寂しいし
音楽っていうのは
誰かと一緒に 誰かの ねえ 前で
聴いてほしくて
やるものなわけだから
早く このコロナが
収まってほしいなと
思いますけどね。
本当ですよね。
でも お嬢さんと長い時間
一緒に過ごせたのは よかった?
そうですね。
10代の娘と本当 2人きりで
毎日 毎日
僕の料理を食べてもらって。
フフフフ…。
まあ あと
大工さん呼ぶにも
大工さんも来れないような…。
そうですよね。
ある日 屋根の端っこが
落っこちてきたんですよ。
あら。
これは大変だっていって
自分で押さえながら
カンカンやったり
そんな事もやりましたし。
お背が高いから まあね
押さえても大丈夫。
ハシゴいらずで。
でも 移住して1年後ぐらいに
お母様がお亡くなりになる
っていう事があって。
そうなんです。 妹から
イギリスに連絡がありまして。
で それを聞いて…。
奇麗なお母様ね。
奇麗な母でした 優しい。
で 倒れたと聞いて
その夜の便で帰ったんですけど
もう そのまま意識が戻らず
亡くなってしまったので…。
あっ そう。
なんか そういう意味合いでは
イギリスに移って
倒れてしまったから
すごく心苦しかったんですけどね。
そうですよね。 寂しい思い
させたんじゃないかとかって。
ただ まあ 妹に聞いたら
母は僕が夢に向かって
一歩踏み出した事を
とても喜んでたって聞きましたし。
あっ そうなの。 じゃあ よかった。
そうですね。
しかも 最後はなんであれ
帰っていらして
手を握っていらしたら
きっと おわかりになったと
思いますよ 絶対に。
まあ 逆に言ったら
手を握って見送れたのは
幸せだなと思います。
そうですよね。
でも ご両親が離婚なさったの?
それで お母様に育てられた…。
はい。
だから お母様との関係が
とても深かったって。
もう完全に僕は…
父には申し訳ないんだけれども
母っ子ですね。
あっ そう。
母は奇麗な人だったけれども
どこか ちょっと抜けている
ひょうきんな人で。
あっ そうなの。 可愛い。
いつも「アッハッハ オッホッホ」
言いながら
なんか 本当だかウソだか
わからないような事 言いながら。
面白い。
母の影響は強いですね。
でも お母様
いつもコンサートには
来てくださってたんですって?
そうなんです。
コンサート会場で
ファンの方が みんな
「布袋 布袋!」って言ってると
そんなファンのみんなに…
全員に「ありがとうございます
ありがとうございます」…。
ありがとうございますって
お母様 おっしゃるの?
みんなにね 言ってましたね。
いいわね。
へえー。 そんな事って
ありがたいですよね だって。
本当ですね。
まあ 本当はイギリスに ねえ
来てもらって 母に
色んな景色を見せたかったけど。
亡くなって残念だけど
逆に亡くなってから
なんか すごく
近くに感じるっていうか。
まあ そうですね。
なんか パスポートなくても
ビザなくても 母は自由に
行ったり来たりできるし。
そうですよね。
まあ だから 10年っていうのは
あっという間でしたけど
大きな変化が
たくさんありましたね
僕にも… ねえ 世界にも。
そうですよね。
でも つい先日
還暦を迎えた事については
どんなで…。 フフフフ…。
信じられないですよね。
僕が還暦でいいんですか?
っていうか…。
うれしいような 寂しいような
照れくさいような
誇らしいような…。
でも こればっかりは
止められないし
これは もう 若ぶる年ではない。
かといって もう
大人ぶる必要はないっていうか。
そうですよね。
ちょうどいいんじゃないですか?
いよいよ なんか 大人の皆さんの
仲間入りなのかなと
思ってますかね。
でも ちょうど なんか
今年は節目で 音楽活動が40年。
それから
英国にお住まいになって10年。
10年。 はい。
それで…。
そうですね。 で 今度
20枚目のアルバムも
リリースになりましたし。
あっ そうですか。
ドキュメンタリー映画っていうのも
初めは ちょっと
照れくさかったんですけど
そういうのを作って頂いたり。
いい意味で 本当 節目を
なんか こう
晴れ晴れとしたね 気持ちで…。
昨年のパラリンピックや
色んな活動もありますし。
そうですよね。
よーし これから また頑張ろう!
というふうに思えて。
何より健康でね いられるのが
とても ありがたいです。
本当。 それに60歳のお誕生日に
20枚目になるアルバムを
お出しになった。
はい。 『Still Dreamin’』っていう
タイトルなんですけど。
まあ 思えば
14歳の時にギターを手にして
なんか いつか 世界に…
なんていう夢を追い掛けて
あっという間の ねえ 何十年で
気付いたら 60になっても
あの時と あんまり変わらない…
いまだに夢を追い掛けてるし。
なんか ゴールというよりは
夢を追い掛けるのをやめろって
言われちゃったら
なんか 目的がなくなっちゃう。
そうですよね。 ええ。
自分を こう 動かすための
なんか 大事なひと言なんだと
思うんですよね 夢っていうの。
それを こういうコロナの中で
皆さんに ちょっと
元気になってほしいな
っていう思いも含めて
作ったアルバムです。
今は どんな夢を追い掛けて…
今 伺ったけども。
なんかね ゴールなんか
いらないなとも思い始めてます。
なんか このまま自分らしく
ワクワクしながら
家族や仲間と笑いながら
一歩 進めればいいなと思います。
うれしいと思います。
ありがとうございます。
その事を奥様にお伝えください。
はい。 もちろんです。
ありがとうございます。
どうも。 本当に お元気で。
こちらこそ。
ありがとうございました。
どうも 布袋寅泰さんでした。
『徹子の部屋』は
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