徹子の部屋 佐藤二朗[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 佐藤二朗[解][字]

~初登場!中年で大ブレイクまでの下積み時代を告白~佐藤二朗さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
今や大河ドラマや映画、CMなどで引っ張りだこの俳優・佐藤二朗さんが初登場!
◇番組内容
2度役者の道を断念し、サラリーマンだった時代もあったという佐藤さん。しかし小学生の頃からの夢だった役者を諦めきれず、アルバイトをしながら妻と風呂無しアパートに住み、下積み生活を送っていたという。中年になり大ブレイクに至るまでの感動秘話を語る。家庭では妻と10歳の息子を愛するマイホームパパ。そんな佐藤さんへ愛妻から秘密で手紙が。家での意外な行動を明かされた佐藤さんは顔を真っ赤にするほどの驚きぶりを!
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

テキストマイニング結果

ワードクラウド

キーワード出現数ベスト20

  1. 本当
  2. 息子
  3. 徹子
  4. 役者
  5. 奥様
  6. 可愛
  7. 事務所
  8. お母さん
  9. リクルート
  10. 結婚
  11. 俳優
  12. 父親
  13. お父さん
  14. サラリーマン
  15. 一緒
  16. 期生
  17. 銭湯
  18. アルバイト
  19. 電話
  20. 入社日

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

created by Rinker
ハゴロモ
¥1,120
(2022/04/21 23:50:06時点 Amazon調べ-詳細)

(黒柳)今日のお客様は

俳優の道を諦めて

サラリーマン生活をなすった事もある

佐藤二朗さんです。

どうぞ よろしく…。
30代で… どうも。

奇跡的にチャンスをつかみ

今や個性派俳優として
引っ張りだこでいらっしゃいます。

よくいらしてくださいました。
よろしくお願いします。

お目にかかれて光栄です。
ありがとうございます。

初めてお目にかかるような気が
しませんね。

そうですか?
それはもう 私こそですよ。

子どもの時から見てますから。

ありがとうございます。
楽しみにしておりました。

あなたは 大河ドラマ 映画 CM

独特の存在感がおありで

本当に
たくさん出てらっしゃるのね。

いやいや いやいや もう…
そうですね はい。

ありがとうございます。
でも 本当…。

現在 申し上げてよろしければ
52歳?

52歳です。
えっと 五十… 5月で…

今年の5月で
53になりますけれどもね。

そうなんですか。
はい。 全然 もちろん構いません。

『徹子の部屋』
初出演という事でございます。

そうです。 もう うちの妻が
ものすごい喜んでおりました。

「あんた 出るの?
『徹子の部屋』に」って。

妻も好きだし 妻のお母様も
徹子さんのファンで。

まあ うれしい。
はい。 なので 本当に

あの… なんていうか 僕も

うわー 『徹子の部屋』うれしいな!
と思ったけど

僕以上に妻とか妻のお母さんが…。
お義母様 それから 奥様

どうも ありがとうございます。
いや ありがとうございます。

今の どうか
カットしないでください 本当に。

ありがとうございます。
ありがとうございます。

でも それにしても
まあ 随分 長い事

サラリーマン1 サラリーマン2
みたいな役…

随分やっていらして 長い事。
そうですね。

まあ やり始め…
映像を やり始めたのも…

今 徹子さん おっしゃったように

サラリーマンを
20代の頃 やってましたんで。

映像で役者をやり始めたのが もう
32とか それぐらいなんですけど

まあ しばらくは
今 おっしゃったような

郵便局員Aとか 刑事Bとか

そういう役は
たくさんやりましたね。

脚本も
書いていらしたんですってね。

今も… もちろん 俳優は
もう 演じる事に

もう それだけに集中した方が
ストイックだし

格好いいって思う自分も
すごくいるんだけど

どうしても 演じる事とは別腹に
書く欲求があって。

まあ 去年公開された

『はるヲうるひと』
という映画でも

脚本と監督をやりました。
今 おっしゃったのは

韓国の映画祭で
最優秀脚本賞を受賞なさったと。

おめでとうございました。
ありがとうございます。

ようございましたよね だってね。
そうなんですよ。

江陵国際映画祭っていうので
最優秀脚本賞をとって。

僕 今まで よく言うんですけど

日本で俳優としてもらった
唯一の賞が

NG大賞だったんですけども。
あっ そういうのあるんですか?

そういうのあるんです。
他の局ですけどね。

それはそれで
うれしいんですけど。

いや そんなに
うれしくないんですけど。

いや うれしいですけども。
とにかく NG大賞というのを

いただいた事しかないんですけど。
ただ ごめんなさい。

そういう形でしかないのに…
もらった事ないのに

まさか異国の地でね 韓国でね
脚本賞をいただいて。

それはお書きになった脚本でね。
そうです。

それはすごい うん。
はい ありがとうございます。

でも 小学校の頃から
もう 役者になりたいという…?

そうなんですよ。
すごいですよね それが。

もうね 子どもの時から
なんか 山田太一さんとか

倉本聰さんとか…。
すごい生意気ね その辺 辺りがね。

そうなんです おっしゃるとおり。
そうそうそう。 すごい…。

だから ませた 生意気な
ガキだったんです。

それで 大人が見るような
ドラマじゃないですか。

やっぱり 山田太一さん…。
でも 食い入るように見ていて。

それで ちょっとね
小学校高学年か中学生か

ちょっと忘れちゃったんですけど
とにかく

カセットテープに
自分で書いたせりふを吹き込んで

「僕を使ってください」
っていう手紙と一緒に

山田太一さん 倉本聰さん
あと 亡くなった あの…

TBSの『ふぞろいの林檎たち』を
演出していた鴨下信一さん。

鴨下さん うん。
あと 『北の国から』の

杉田成道さん。 そうそうたる
メンバーに送ってるんですよ。

ええー! すごい。
これがね…。

これでお出しになったんですか?
これでお出しになったわけでは

ありませんけども。
これで… でも これで

お出しになったかもしれません。
ごめんなさい 徹子さん。

この状態で
「僕を使ってくれ」って お出し…。

ただ この写真は
送ってませんけども。

妻からは 「ボウリングのピンみたい」
って言われるんですけども。

ちょっとね。
随分 でも 真面目そうな…。

そうなんです。
中学の入学式の時ですかね はい。

それで 役者は
どうもダメらしいっていう事で

大手の広告会社にお入りになって

なかなか
みんなが入れないような…?

はい。 これ あの… ずっと
会社名は伏せてたんですけど

まあ ある時…
ある局のプロデューサーから

「もう 20年以上経ってるから
二朗さん いいんじゃないの?」

って言われて まあ
言ってるんですけど リクルート。

もう 本当に 今も…。
すごいですよね

リクルートに入れるなんてね。
本当です。

それが… だから

今でも人生の汚点だし
お恥ずかしい話なんですけど

入社式の日に
辞めてしまったんですよ。

どう…? あちらの方は。

徹子さん 本当 言葉を失っても

本当に そのとおりだと思います。
入社日に遁走?

「入社日に遁走」です。
ごめんなさい 今 徹子さんの言葉

繰り返しましたけども。
「入社日に遁走」 いいですね…。

いや 良くないです。
入社日に遁走。

そうすると リクルートの方
驚いたでしょうね。

そうなんです。
当時 人事部の偉い人かな

当時 カモメの社章…
背広に付ける社章がありまして

それを返す時に
「リクルート30年の歴史で」…

当時ね。
「リクルート30年の歴史で

入社日と退社日が
同じ日になったのは

君が初めてだ」って
言われたんですけども。

まあ それはそうですよね。
でも 本当に 僕のせいで…

本当は
リクルートに入りたかった人が

1人 入れなかったかも
しれないので 本当に 今でもね

お恥ずかしい話だと
思うんですけども。

なんか 「ああ…
これで 役者 諦めるか」って

もう わかりきってた事を

入社式とか そういう…
上司 紹介されてとか

同期 みんなでって
なんか 飲んでる時に

当たり前の事を ちょっと
実感しちゃったんでしょうね。

それで そのままね
雨 降ってましたけど

夜の鈍行に乗って
実家 帰っちゃったんですよ。

もう 本当ダメ。
実家 どちら?

愛知県です。
愛知県。 おお…。

ご両親は どうなすったんですか?
そしたら。

もうね 僕が役者をやる…
何やるにしても

全然 文句ひとつ言わなかった
父親が 半泣きで

「お前 なんで そんな
すぐ辞めるような会社に

入ったんだ」っていう
まあ 宇宙一正しい正論を…。

でも それは正しいですよね。
辞めるのに なぜ入ったってね。

今は そんな事ないと思いますけど
やっぱり 新卒絶対で

中途は だいぶ不利になるって
いわれてる時代だったので

余計 父親はね 半泣きでね。

今まで 何ひとつ 僕の言う事に
口 出さなかった父親が…。

そのね 父親の半泣きの…
「お前 なんで そんな

すぐ辞めるような会社に
入ったんだ」っていう父親の顔は

今でも覚えておりますけれどもね。
申し訳ない事をした。

でも その
就職していらしたんだけども

結局 それ辞めて
俳優の養成所にお入りになった?

そうなんです。 えっと… 正確には
そのリクルートを辞めて

それで また こっち戻ってきて
アルバイトを1年して

そのあと 養成所に
2つ入るんですけど。

その1つ目がね…
だから もう徹子さんの

大後輩になるんですけど
文学座なんですよ。

文学座?
はい 33期生なんですよ。

すごいね…。
徹子さん 2期生?

私 1期生か2期生。
1期生か2期生?

そうです。
覚えてらっしゃらない? そこは。

初めゴチャゴチャしてましたから。
ゴチャゴチャしてたから。

大先輩に当たるんです。

それで もう1つ 養成所に行って
それで そこでも まあ ダメで

そこで もう1回 サラリーマン
やろうと… もう1回というか。

おおー! 随分
サラリーマンらしいですね でも。

サラリーマンです。 この時は
でも 本当に もう役者 諦めて

もう がむしゃらに
働くしかないんだと思ったので

まあ 働きましたね。

奥様とは 俳優の養成所時代に
お会いになった?

そうです。 その 今…
さっき申し上げた

2つ目の養成所で一緒でした。
ふーん…。

そこから あの… ずっと同棲して。

同棲して8年で ちょうど 僕が

あれ? ええー…
アルバイトしてなくて…

この何カ月か
アルバイトしないで

役者で食えてるなって
思った時期と

妻が まあ 30の大台… もう
別に大台でもないんですけど

30になるタイミングが
一緒だったので

あいさつ行こうって言って
実家に あいさつに行きました。

奥様のご両親のところ?
なるほど。

僕も そんな あの…
まあ 娘は いないですけど

大事な手塩にかけた娘がね
東京出てってね 1人で。

「役者!?」。 役者って言ったら
僕は100パー反対するので

えらい緊張しましたね。
田舎に ごあいさつに行く時に。

だから 根回しとして 妻に

まあ 割と あの…
ご高齢の方もそうだし

公共放送に ちょっと弱いところが
あるじゃないですか。

NHK?
そうそうそう。

だから 僕がNHKに出てる
ドラマを集中的に

ちょっと お父さん お母さんに
見てもらえって言って…

妻に言って 根回しして
それで あいさつに行きました。

でも 本当に ひと言も何も言わず
もう 会ったら すぐ

「娘をよろしくお願いします」って
言われましたね。

お幸せでしたね その点ね。
そうですね。 あの… はい。

でも 奥様も その間
働いていらっしゃったんでしょ?

そうです。
2人でアルバイトしてました。

それで
なんにもおっしゃらないで

お風呂もなく
そういったアパートに

住んでいらしたんですってね。
そうですね。

銭湯 行ってね 2人でね。
うん。 でも あるじゃない

『神田川』じゃないけど。
いや 本当ですね。

石鹸 カタカタいわせて。
カタカタいわせて。

でも 本当にね その ある時…

僕 晩酌がすごい楽しみなので…
1日の一番の楽しみなので

妻が作った料理で
晩酌 毎日するんですけども

その時に ふと なんかね
その時の事を思ってね

「風呂なしのアパートに
2人で住んでた頃の事を思うと

夢みたいだな 今がね」
って言ったら

妻は 「いや なんか すごい遠くに
来た感じがする」って言ってて。

ああー… うちの妻 可愛いなって
やっぱり その時も思いましたね。

フフフフ…!
ハハハハ…!

そうですか。
いいじゃありませんかね。

そうなんです。
でも 毎日 空を見ながら

祈るような気持ちで
生きていらしたと。

そうです そうです。
銭湯がですね

今もある 野方の銭湯で。

風呂なしのアパートのすぐ近くに
その銭湯があって

そこに妻と行ってたんですけど
そこにね

もう 本当に猫の額ほどのね
露天風呂がありまして。

ええー!
ちっちゃい… ちっちゃいですよ。

でも 小さくたって 銭湯に
露天風呂があったんですか?

そうなんです そうなんです。
面白い。

それで そこから 空を見上げると

本当に これ また
狭い空しか見えないんですけど

毎日 そこに入って
「誰か 俺 見付けてくんねえかな

ここに こういう俳優が
いるんだけど

見付けてくんねえかな…」って

それは 割と
毎日のように思ってましたね。

そこから ありがたい事に
役者で生活できるようになって

それで これも ありがたい事に
結婚もでき 息子も生まれ

それで お父さんとお母さんが

ちょっと 苦労して
生活してた時代の銭湯に

ちょっと ふと
連れていきたくなって 息子を。

ええ ええ。
息子が4歳ぐらいの時かな?

で その露天風呂 入ったんですよ。

それで
「お父さん この空を見ながら

いつか見付けてくれないかな?
自分を 誰かって

思ってたんだぞ」
って言ってたんだけど

その時 ワイン風呂で 息子は
ずっと ワインに夢中でしたね。

すごい!
ワイン風呂なんてあるの?

ワイン風呂って 本当のワインでは
ないと思いますけども

なんか あの…。
でも あなたが

そう おっしゃってるのを
子どもは聞いてなかったね…。

子どもは
あんまり聞いてなかった。

まあ あの… はい。

そうですね 息子には
あんまり その…

「役者」っていう言葉も
言った事ないし

まあ あの…
これね ちょっと 話… 徹子さん

ちょっと ずれてもいいですか?
いいですよ。

なんか どうしても…
すごくありがたい事なんですけど

息子と 散歩 好きで
商店街とか散歩すると

ありがたい事に
声を掛けられるじゃないですか。

なので 「握手してください」とか。
「見てますよ」とか。

そういう事があると 何かが…

息子 勘違いをしちゃうと
いけないなと思って

「お父さんの仕事は
本当に 数ある…

日本に数ある職業のうちの1つに
過ぎないんだけど…」。

でも 本木雅弘さんのお出になった
主演ドラマで

お医者様の医師Aっていうのを
なすったのがよかった?

そうですね。 僕が舞台に出たのを

堤幸彦という 今 もう…
今や大御所の映画監督が見に来て

当時 撮っていた
本木雅弘さん主演の

『ブラック・ジャック』という
単発のドラマの

医者Aという役で 板東英二さんに
がんの告知をするシーン…

ワンシーンだけなんですけど
そこで使ってくれて

それがね まあ
面白いシーンになったんですよ

堤さんのおかげ
板東さんのおかげでね。

それで えっと… それを

当然 本木さん主演だから
見るじゃないですか。

本木さんの事務所の社長も
見るじゃないですか。

そしたら 事務所の社長も
本木さんも同じように

このシーンの医者の この人 誰?
ってなって

うちに引き抜けってなって

それまでいた舞台の事務所から
今の事務所に移ったのが 31かな。

それ以来 もう22年目かな 今年。
今の事務所 ずっといます。

すごい。
はい。

本当に 一時期 これを言うと

成り上がった自慢みたいに思えて

言わなかった時代が
あるんですけど

ある先輩俳優が
「お前 その医者Aっていう役で

目 付けられて
事務所 移ってっていう話は

若い俳優の
どれだけ希望になるやら」って

言われた事があって。
そうですよね 本当。

本当 そうだなって 僕も思って

それからは
言うようにしてるんですけどね。

いいじゃないですか。

でも 初め 電話がかかってきて
スカウトの電話の時に

なんか 借金の催促だと
思われたんですって?

そうなんです。 今も

僕をやってくれてる
マネジャーがいて

そのマネジャーから
電話がかかってきて あの…

向こうも引き抜きなので

フロムファーストっていう
名前なんですけど

それは言わずに… まずはね。

「佐藤二朗さんですか?」
って言われたんですよ。

僕ね 出てきて
いきなり言われたから…

向こう 名前 名乗らず。

その時に
ちょっと 生活 苦しくて

消費者金融に ちょっと
若干の借金があったものですから

いや 俺 ちゃんと
今月分 払ってるはずなんだけど

って思って
すごい無愛想に応えていたら

「うちは 本木雅弘や
竹中直人の事務所ですけど…」。

竹中直人さんも?
竹中さんも。

すごいじゃない。

「社長が会いたがってます」
っていう事で… でしたね。

事務所に所属なすったら
もう バイトは

しなくて よくなったんですか?
そうですね。

事務所入って
ちょっと しばらくしたら…。

だから いまだにうれしいですね。

俺 バイトしないで お芝居の事を
ずっとやってるだけで

生活できるっていうのは
やっぱり

もう いまだに
夢のように うれしいしね。

でも とにかく あなた
今 晩酌が人生の喜び?

そうですね そうですね。
人生の… まあ そうですね。

1日の楽しみ。
えっと… これは

妻が作ってくれた
ゴーヤチャンプルーですね。

そして これが 豚バラと…
書いてありますね。

アスパラの卵炒めですね。
これはね 余りものでね

妻が 適当に
作ってくれたんですね。

そういうのは
お酒の肴っていうんですか?

アヒージョ。
あら キレイな色。

そうなんです。
これね おいしいんですわ。

これ アヒージョ…
ウイスキーが合いますね。

あっ そうなんですか。

これがね 毎日ね

妻が野菜スープを作ってくれて

だしの… かつお節と昆布と

煮干しと緑茶を粉にして

これ ちょっと 振りかけて
それで飲んでます。

でも 帰宅なさると
あなたは とにかく

1日で あった事を全部 奥様に
ご報告なさるんですってね。

そうです そうです。
あの… 本当に

息子が生まれるまでは

僕が ずっと
1人で しゃべってたんだけど

妻は聞き役…
妻は お酒 飲めないものですから

聞き役に
なってくれてたんですけど

息子が生まれてからは
当然 息子も

学校で あった事を
話すじゃないですか。

僕も 一応 父親なわけだから

それは… これは いかん 父親だ
という事で聞いてるんですけど

そのうち 妻 カッコ 母に
話を聞いてもらう権を

息子と争奪戦になるんです。
「もう 終わったよね?

じゃあ 今度 お父さん
話すから」みたいな感じで。

もう 本当に あの…
まあ 僕は 本当に

精神年齢8歳の52歳児って
ずっと言ってるんですけど

精神年齢 低いですね。
奥様が うちのアイドルみたいな?

そうですね。 妻は 本当に
そういう意味では あの…

我が家のアイドルですね。
最高のアイドル。

こういう事 言うと また
好感度が7人ぐらい上がるかな。

フフフフ…!
フフフフ…!

でも 奥様から
お手紙をちょうだいしています。

ちょっと待ってください。
えっ そうなんですか?

そうです。
おっと… なんて事でしょう。

ヤツは 何…
ひと言も言わなかったな。

もちろん こういうものはね

ご主人に
おっしゃらないでくださいねって

こちらでお願いしてると思います。
そうですか そうですか。

ですから 読みますよ。
うわっ! 妻 喜ぶよ これ。

徹子さんが読んでくださるの?
もちろん そうですよ。 だって

あなたに読んでいただくわけに
いかないじゃない…。

黙読します そしたら。
いいですか?

「お母たぬ」…。

いやあ…。
なんて いいお手紙でしょうね。

ありがとうございます。
もう でも いや…。

これ 妻が一番…
世界で妻が一番 喜ぶと思います。

徹子さんに朗読していただいた…。
いや そんな事は…。

しかし… そこをばらしたか 妻は。

「お母たぬ」。
「お母たぬ」。

「お母たぬ」って最近 言って

本当に 「マジでやめろ」って
言われるんですけど

これを全国放送で ばらされるとは
思わなかったですね。

ものすごい妙な汗をかいて…。
奥様に ひと言 なんか あります?

いやいや いやいや…。
それは徹子さん ちょっと もう…。

ちょっと もう 本当に
全身から汗が吹き出るぐらい

照れますけども。
まあ まあ 本当に

今 手紙に
書いてあったとおりです。

うーん…。

もし… 今 ありがたい事に
食えてますけどね。

本当に… 月日が育てる感情も
あると思うんでね

やっぱり 本当に

一生を懸けて守るに値する人だと
思うんで 妻も息子も。

あの… 食えなくなったら
バイトしながらでも

バイトして 小さい小屋で
舞台やりながらでも

妻と息子を食わしていきたい
という風に思っておりますけどね。

いい奥様ですよね。

でも このお手紙は
いいお手紙だと思います。

あとで お渡しいたしますね。
ありがとうございます。

結婚指輪は 特に おあげに
ならなかったんですって?

そうなんですよ。 息子からもね

「なんで お父さんとお母さんは
指輪がないの?」って聞かれて。

あら そんな事 言うの?
それも 5年ぐらい前ですけど

聞かれましたね。 それで もう
それは正直に言いました。

「いや お金がなかったんだ」と。

妻も
全く 欲しいって言わなかったし。

そういうのは 妻が
欲しいって言わなくても 男が…

甲斐性ある男は あげなきゃ
っていう事なんでしょうけど。

全く そんなお金は なかったので。
だからね 式 挙げた…。

さっき ちょっと
チラッと申し上げたように

あれ? この何カ月バイトしないで
食えてるわっていうタイミングで

結婚を申し込んだんですけども

どうせ 一緒になるのは
この人だって思ってたんで。

ただ やっぱり 「ちょっと
食えるわ アルバイトしなくて」

っていう程度だったので

指輪 買えるような経済力は
全くなかったんで。

でも 妻はね 欲しいとも…
指輪 欲しいとも言わなかったし。

あと なんか 結婚式も
男性としては やっぱり

女性がやりたいって
言うんだったら付き合うよ

っていうような感覚の人が

聞いてると多いんですけど。 僕も
そんな感じだったんですけど

妻は 全然
式をやりたいとも言わず。

「じゃあ
仲間内だけのパーティー?」。

「イヤだ やらない」。
「じゃあ せめて写真だけ撮る?」。

「いい…。 撮らない 撮らない」。

だから 本当 2人でね…。
しかも 仕事で遅くなってね

時間外の役場に行ってね
婚姻届 出しただけです。

それだけ…?
うん。 なんにも 結婚した…。

ただね 8年 一緒に住んでるし。
だから 本当に…

式もやってない
写真も撮ってない。

だからね 結婚したっていう感じが
全然しなかったんですけど。

ちなみに そんな風な僕が

どこで あっ 結婚したなって
思ったと思われます?

それはわからない。
8年 一緒に住んで…。

あのね 郵便物ですね。
おおー…!

初め 妻は… 名字は
違う名字じゃないですか 当然。

僕と結婚したら
「佐藤」になるじゃないですか。

妻に来る郵便物が
全部 「佐藤」になって。

それで俺
ああ 結婚したんだって…。

今はね 夫婦別姓の問題とか
いろいろありますけど。

あっ これ また…。

可愛い。 これ
どうしたんですか?

これ 息子は もう…
でも 結構前ですね。

小さいもんね 子どもさん。

あまりに後ろ姿が…
2人の後ろ姿が可愛い…。

まあ 可愛いというか
僕にとってはね

いとおしかったので。
可愛い。 ねっ。

もう 今や 息子は
妻の身長を

もう 脅かすぐらいの。
本当に?

いくつになったんですか?
お子さんは。

10歳ですね。
可愛いじゃない。

あなたの子どもって
1年生ぐらいの時

あの…
「恐竜がいたのかな?」って 何?

えっとですね
それ 3歳ぐらいの時かな?

あっ そんなちっちゃい時?
はい。 小さい時です。

「昭和1年に恐竜いた?」って
聞かれました。

可愛いわね。
ねえ。 いや 子どもって

でも まあ うちの息子に
もちろん限らず

どの子も
まあ ビックリするぐらい

面白い事 言いますよね。
だって 昭和1年に…。

昭和1年っていうのを
子どもは知ったわけでしょ?

ああ 年号っていうものがある。
その時に

じゃあ 恐竜いたのかなと思った。
可愛いわね。

「昭和1年って
お父さん お母さん

あと お父さんの
お父さん お母さん

お母さんのお父さん お母さんが
生まれた年だから

そんなに昔じゃないんだよ」って
その時は説明したんですけど。

今日のご成功を ご両親は
どんな風に思ってらっしゃる…?

まあ 本当にありがたい事に
うち… 僕の親は2人とも

まだ健在なんですけども
ありがたい事に。

どうだろう? あんまり
改めて聞いた事ないけど…。

うーん… 喜んでくれてるとは
思いますけどね。

そりゃあ
喜んでいらっしゃるでしょう。

でも 「今度 こういうの
やるんだよ」とかって

おっしゃる時もあるの?
そうです そうです。

なるべく まあ…
離れた距離に暮らしてますので

ただ まあ やっぱり あの…

ずっと連絡しないのは
避けようと思って。

まあ どうだろうな…。

3カ月に1回ぐらいは電話して…。
もうちょっとしたら どう?

そうですね。
そうですよ。 だって…。

あなたは 毎日毎日
いろんな事があるだろうけど

ご両親にとっては
そんなに毎日毎日

変わった事がないだろうから
やっぱり 息子さんの電話なんて

ありがたいと思いますよ。
『徹子の部屋』にお出になった事

ちゃんと おっしゃってください。
それは もう 間違いなく。

じゃあ ちょっと「こんにちは」って
お母様とお父様に…。

ビックリした。 急にやらされた。
フフフフ…!

いやあ 徹子さん
楽しゅうございました。

でも よかったです
ありがとうございました。

ありがとうございました。

『徹子の部屋』は

Source: https://dnptxt.com/

powered by Auto Youtube Summarize

おすすめの記事