出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 六平直政[解][字]
~68歳…素晴らしい“出会い”に感謝!~六平直政さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
唐十郎さん主宰の劇団「状況劇場」の出身。俳優・六平直政さんがゲスト。
◇番組内容
劇団時代、バイト先で知り合ったのが同じく売れない役者だった大杉漣さん。将来の夢を語り合ったという。下積みが続く六平さんを救ったのは原田芳雄さん。「お前の劇団に入れてやれ!」と、劇団東京乾電池の柄本明さんに頼んでくれたとか。ほかにも北野武監督、松方弘樹さんなど大物に可愛がられたと語る。また、水谷豊監督作品『太陽とボレロ』では、コントラバス奏者役を“吹き替えなし、自らの演奏”で演じきったという話題も。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 随分
- 全然
- 面白
- 出会
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)こちらの可愛いお子さんが
今日のお客様です。
よーく見ると
面影が どことなく…。
この方ですよ。
ハハハハ…。
こわもてを生かした演技が魅力の
個性派俳優 六平直政さんで
いらっしゃいます。
どうも ご無沙汰致しております。
どうも ごきげんよう。
それで お名前と同じに
お孫さんが
6人いらっしゃるんだそうで
ございます。
まあ 色々なお話
伺わせて頂きます。
ありがとうございます。
よろしくお願いします。
まず 最初に
六平さんなんですけど
これ 六平って 「六」って書いて
「平」って書いて
「むさか」って すごく…。
普通 徹子さん 読まないでしょ?
うん。 「ろくへい」って… とかね。
「ろくべい」さんとか
「ろくひら」さんとか
「むつひら」さんとか。
それ 秋田ですね うちは
由利本荘市の。
超光寺っていうね
浄土真宗のお寺で。
六本の平家の赤旗…
源氏の白旗に対して。
六本の平家の赤旗で
「むつあか むつあか むつあか
むさか むさか」と音がなまって
「六つの平」を
「むさか」と読むんだと
亡き父が申しておりました。
ハハハ…。 そうですか。
でも まあ 珍しいですよね。
そうですね。
海外にいらっしゃったら なんか
でも 六平ってあったんですって?
そうなんですよ。 ジンバブエ
っていう南アフリカの上の。
そのジンバブエとザンビアの間に
ザンベジ川っていう…。
それが 55万トンで落ちるのが
ビクトリア・フォールズ…。
ああー すごいですよね。
まあ それを見る番組で。
それで まあ ホテル…
五つ星だとかいって
なんか 周りにキリンなんかいて
なんだ すげえホテルだなと。
すごいわね。
それで行ったら
「プリーズ ユア サイン」って…。
うーんって書いていたら
「オウ? リアリー ネーム?」
って言うから
「リアリー ネーム」って言ったら
「ムサカ?」って言うから
「いや ムサカ」って言ったら
「ああー!」って呼んだんですよ。
そしたらね
うわーってホテル中の…。
うわーっと来て。
それで どうなるのかなと思って
ふっと見たら 名札が
徹子さん あるでしょ?
ええ。
全員 ムサカ。 MUSAKA。
MUSAKA?
同じ。
それ 不思議ですよね。
ねえ。
私も ちょっと アフリカ
随分 多いけども
行った事ないの そこの所。
ジンバブエ ぜひ。
フフフ…。 ムサカっていう…。
それで もう その撮影は
大した事なかったんですけど
最後の日にね 「よし」と思って
自分で ちょっと5~6万出して
そのホテルの
ステーキ屋を貸し切って
そのホテル中に勤めてる
ムサカを全員集めて 来れる人。
ああー すごいじゃない。
それでね
ムサカズパーティーやったんです。
あら すてき。
ヘイ! ムサカー!
チアーズ! みたいな。
もうすごかったですよ。
そしたら ディレクターが
「なんだ こっち撮った方が
面白えな」…。
フフフフ…。
滝なんか撮ってるより
こっち撮った方が面白い…。
ハハハハ…。
だから そういうルーツを探れば
私もアフリカの人だったのかなと
思って。
フフフフ…。 そうかもしれない。
でもね トットって… 私
トットちゃんって言われる…。
「トット」っていうのも
やっぱりね
一番 みんなが
しゃべる言葉の中で
「子供」っていう意味なんですよ。
ああー なるほどね。
だから その時はね 不思議な
こう… あれを考えてね。
子供の時 トットって
言われていたんだけど
アフリカでは 子供の事
トットって言うんだと思って。
ああー だから
グローバルな名前ですよね
トットっていうのもね。
そう。 だから
とっても面白かったですよ。
トットとムサカ…。
村長さんなんかが話す時にね
「ゴニャゴニャ トット」
「トット フンフンフン」って
言うのよ。
で 私 トットちゃんが来てる
っていうのにしては
村長さんがね そこのとこまで
トットって
覚えられるかなと思ってた。
そうじゃないの。
子供の事 トットって。
なるほどね。
ねえ。
不思議ですよね
そういうのってね。
六平さんは もう なんだって
東京生まれの団地…。
東京生まれの団地育ちって…。
私 ほら 父が秋田から出てきて
中野で生まれて。
これは中野の そのアパートの…
公団住宅かなんかの
ベランダですね。
あっ 可愛いわね。
初めて 三輪車 買ってもらって。
しかも 武蔵野美術大学のご出身。
まあ みんな
武蔵美って言うけど。
武蔵美のご出身。
どんな事を お勉強して
いらしたんですか?
彫刻学科なんですよ。
これ 1年の時です。
ええー。
髪が濃いな。
随分ね
毛がいっぱい生えてます。
フフフ…。
いや それで
彫刻と申しましても
2年までは彫塑。
女性の裸婦 作ったり 人体…
2年までやって。
3年からは 今度はね
Bカリっていう…。
今 出てますけど なんか。
これは?
こういう 金属彫刻。
ええー。
…を3年から志して。
認められたんですか?
あなたの作品は。
結構 最年少で入選したり…。
あら。
はい。 だから 彫刻科の人たちも
学科の… 大学の人も
久しぶりに才能のあるヤツが
入ってきたんじゃ…
って言ったけど
大学2年の時にやめて
それで 簡単に言えば
唐十郎の状況劇場へ入って…。
それも また…
やめてって こうだ。
やめて。
やめて。
それで もう 演劇の世界に。
なんで 唐十郎さんの所
お入りになったんですか?
それはね
大学の時に付き合っていた
油絵学科の彼女がいたんですよ。
うん。
で その彼女が
唐十郎の「状況」が好きで。
そうすると 見れば 感性はね…。
ええ。 あるから。
唐十郎って すてきな人だな
面白いなと思って。
だけど ほら
学生演劇もやった事ないから
ああー これは もう 俺は見る側で
やる側じゃないなと。
だけど そしたらね
1週間後ぐらいに 徹子さん
『朝日新聞』に 「状況劇場
スタッフ キャスト募集」って。
本当に?
偶然。 それで申し込んで。
すっごい。
3000人 受けて 30人 受かって。
佐野は…
佐野史郎は同期ですから。
そこから ずっと この…
どつぼのような世界に
入ってしまって。
どつぼも 俳優だけなら
いいんだけど
俳優と裏方と
両方なんですって?
「状況」は全部やるから。
で あとでね
経験もないのに
なんで受かったのって聞いたら
不破さんがね… 不破万作さんが
「おめえなんか
落っこってたんだよ」
「お前 溶接の免許あるから…」。
ほら 金属彫刻で。
「うちは テントは全部
鉄でできてるから クイも」。
「お前 入れときゃ
あとで タダで直させられるから
これは重宝だと思って
採ったんだよ」って。
あっ そう。
「はあ?」と思って。
不純な理由だなと…。
火で こう くっつけるやつ?
そうです そうです。
アーク溶接がね。
だから 徹子さん
そんな不純な理由なんですよ
合格したっていったって。
なるほどね。
だから いつまで経ってもね
素人ですもんね 役者としては。
フフフフ…。 いえ でも…。
なんか 基礎を学んだ事ないし。
唐十郎は発声練習も
何もやんないし。
「うちはテントを立てる
よいしょ よいしょ
っていうのが発声練習だ」と。
漁師じゃないんですからね
網 巻き上げてる。
それで あとで
ひもでコンコンって
こんなのやったりして。
そうそう。 ロープを。
まあね 義丹が
こんなちっちゃい頃ですけども。
やってましたよ。
当時は 食べていけましたか?
いやいや 全然。
体重が53キロぐらいでした。
あらー。
痩せていて 食べ物 食えないし。
女性用のジーンズが
ゆるゆるで入りましたから。
本当に?
ああー もう 俺 このまま
死んじゃうんだろうなと思って。
フフ…。 のんきだね。
テレビにも映画にも出れないし
ああ もう 死んじゃうんだろうな
こんなアングラクソ劇団で
と思って。
その頃のお給料って
どのくらいなもんなんです?
10年近くで
トータルでもらったお金が
20万いかなかった。
それ 相当すごいですよね でも。
それね 日割りで計算した…
劇団員がやったら
一日何銭にもなんないの。
ハハハハ…。
変ですよね?
うん。 変。
徹子さんが正しい 絶対。
でも 佐野さんも…
佐野史郎さんも
もらえなかったの? やっぱり。
佐野も0円。
唐さんはね いっつも俺に
いい役を振るんですよ。
うん。
「むーちゃん この役ね」って。
いい役だなって思うけど
やったら 俺は
できないでしょ?
やった事ないから。
必ず途中で 「もう いいよ
お前 できないから」
「おい 佐野
お前がやれ この役」って
いつも 佐野に役取られちゃう…。
ええー。
大した芝居でもねえのに。
フフフフ…。
佐野の芝居も。
なあ。 佐野 見とけよ。
それで あげく… フフフ…。
芝居もできなきゃ… ハハハ…。
でもね
あいつ 親友です いまだに。
ああ 佐野さん?
劇団の時も あいつ
医者の息子で
金があったから
阿佐ケ谷の
あいつの家に行くと
羽根布団だから。
その羽根布団に寝かせてもらって
「おい 史郎 俺は1年
お前と住むからな」って言ったら
「ええー なんで?
嫌だな」って。
「嫌じゃねえんだよ。 もう
住むって決めたんだよ 俺は」って。
そんな感じ?
そんな感じで…。
あなたは 下積み時代は
家賃が なんか 5万円の
木造アパートだったんですか?
5000円ですよ。
5000円? フフフ…。
5000円ですよ。
徹子さん 5万円 出せば
その頃 マンション…。
そうですよ。
5万円だったら高いわよ。
5000円。
5000円。
新聞少年が住んでいる
木造の武蔵境のアパートの
空いてる三畳一間。
トイレもついてない。
なんにもついてない。
共同炊事 共同トイレ。
5000円。
5000円。
それ 相当ですよね。
それで 夏なんかは
シャワーもないから
共同炊事があるじゃないですか。
あそこに夜中 行って
乗っかって こうやって
シャワーみたいに…。
ああー お皿なんか洗う所?
うん。 そう。 あそこで。
それが
マイシャワールームみたいに。
あそこに乗っかるの
大変だったでしょ?
いや だって
その頃 痩せてるから
ヒョンっと。
ヒョンっと乗って チャーっと。
フフフフ…。
どん底の生活でした。
今だから笑えるけど 当時はね
笑ってはいないですよね。
でも アルバイトも
随分なさったでしょ?
300ぐらい やりましたね。
300も!?
はい。
例えば どんな? 300のうち。
例えば
高速道路のドブさらいとか
お化け屋敷の人形 作る…
俺 彫刻科でしたから。
FRP貼り込んで
お化け屋敷の人形 作ったり
恐竜 作ったり
あとはボーイ兼シェフみたいに…。
フフフフ…。
そこのママがね
銀座の白ばらチェーンの
ナンバーワンで
ものすごい
いい女だったんですよ。
こっちは24~25でしょ?
今の小指 出したのは女の事です?
ああー そう。
あなた すぐ出すね
こうやって 小指。
だから 徹子さん バイト行く度に
若いから… で 奇麗な…。
奇麗なママさん。
ムラムラしちゃって なんか
働いていても。
で その これとは…
これとは 何事もなく?
全然。 だって まあ 年上だし
しかも ママですから。
そんな ママに手を出したら
なんか 舞台みたいに
なっちゃうじゃないですか。
そうですよね。 おかしいわね。
大杉さんがいたのも そこなの?
さんは 全然 また別で。
デパートがあって
そこの 夜中2人で内装を…。
夜中 パラペットっていって
ここは何売り場
なんとかみたいなのをつったり。
そういうのを大杉さんと
やっていました。
で まだ 大杉さんも無名
転形劇場にいて。
大杉さんも…
俺よりも4つ 3つ年上ですけど。
まだ無名で。
こっちは状況劇場でしょ?
だから もう そんな2人で…。
「大杉さん 俺たち どうなの?
役者として」って言うと
大杉さん 必ずね…
無口な人だから。
「駄目なんじゃない」。
「あっ そうだよね。
駄目ですよね」。 ハハハハ…。
大杉さんって
どういう方でしたか?
大杉さんはね
すごくいい人ですね。 優しい。
でも そういう生活苦の中で
あなたを助けてくださったのは
原田芳雄さんだったんだって?
もう 一番…
この業界に入れてくれたのは
芳雄さんなんですよ。
原田さん 懐かしいわ。
芳雄さん いい人でしたよ。
いい人でしたね。
もうね 最高にいい人。
芳雄さんと 柄本さんと
余貴美子と 俺と あれで
『ラスト・フランケンシュタイン』
っていう映画をね
富山の利賀村で
泊まり込みで撮っていたんですよ。
そうすると 泊まり込みで
利賀村だから
周りに飲み屋も何もないでしょ?
あれば 芳雄さんは行くんだけど。
ないから 芳雄さんの部屋に
「バー 原田」とか貼って
そこが 毎晩 その4人のあれで。
そしたら ある時 芳雄さんがね
柄本さんに
「おい えもやん。 ロッペイちゃん
お前 アングラでよ 金もなくて
子供 ポロポロ… お前
死んじゃうぞ この名優が」とか
言ってもらっちゃって
名優でもないのに。
「どうすんだよ? えもやん。
こいつ 死んだら
ロッペイちゃんが」って言ったら
「お前 えもやんの乾電池…
入れてやれよ」って
芳雄さんが言ってくれて。
そしたら
その頃 柄本さんも状況…
うちの唐さんと絡んでた
色んな事で。
「ロッペイちゃんおいでよ」
とか言って。 「うちに来たって
ちゃんと3割引くんだから」
とか言って。
それで 34の終わりに
芳雄さんの助言で
柄本さんの乾電池に…。
本当 お世話…。
芳雄さんのおかげで
この道をつけて頂いた…。
そうですね。 でも あれですよね。
デビュー45年で
本当に すばらしい方たちの
そういう巡り合いが
あったんですけど
松方弘樹さんも 随分
可愛がってくだすったんですって。
松方さんは
テレ朝の『遠山の金さん』で。
レギュラーなんかなれる…
何もないのに
レギュラーで呼んでくれて。
うん。
それでいて
松方さんにも可愛がられて
毎週 水曜日は お食事会で。
いやー こんなにうまいもんが
世の中にあったんだ…。
京都で。
こんな うまいもん…。
松方さんが 「おい 六平
端から端まで
お前 食っていいぞ このすし」
って言って。 俺 大食いですから。
「大将 端から端まで
2貫ずつ握って」って言って。
往復は できなかったですけど
ちょっと戻るぐらいまで
食いましたよ。
おいしかった?
おいしかった。
でも どうせ お金は
いつも
松方さんのごちそうですから
相当 払っていますよ。
そりゃそうですよね。
松方さんのお財布 パッて一回ね
昔 見たら
やっぱり 入っていますね。
あっ そう。 一万円札? それ。
束で。
そんな?
やっぱり 大スターなんですよ。
でも 本当 松方さんには
お世話になりました。
そうですか。
でも 北野武さんという方も
初対面に言われた ひと言が…。
そうなんですよ。
勘三郎さんと
西麻布のホワイトって…。
徹子さん 知らないかな?
三枝子ママって。
階段 下りてきた左側に…。
ああ ありますね。
はいはい。 今は もう
なくなっちゃったんですけど。
そこで
勘三郎さんと飲んでいたの。
そしたら ガーッて
誰か入ってきたなと思ったら
勘三郎さんが
「武さん!」って言ったら
北野監督が入ってきて。
俺 初対面じゃないですか
ファンだけど。
うわー 武さん 来たと思って。
まあ 一緒に3人で。
で なんか ちょっと やったら
「いや 俺はな 六平さんの作品
全部見てるよ」って言うんですよ。
えっ 全部って
なんで見てんのかな? と思って。
そしたらね 「いいんだよ
何やっても安っぽくて」って。
フフフフ…。
やっぱり 俺 何やっても
安っぽいんだなと思って。
だけどね ちょうど その時は
『BROTHER』っていう映画を
やる直前で。
北野監督が 「いや もうさ 今
キャスティング
終わっちゃったんだよ
『BROTHER』」って
言うんですよ。
だけどね 渡さんの…
渡哲也さんの一つ下の
偉い親分の役が決まっていなくて
「それ 六平さん
やってくんないかな?」って
その場で。
ええ。
「えっ いいんですか?」って。
「やってよ」って言って
それで 『BROTHER』に出て。
初めて北野組に。
そこから呼んでもらって。
すごい。
だから これは もうね
出世したなと思って。
本当。
だけど どこに運が転がっているか
わかりませんね。
その晩 そこへ
行っていらっしゃらなきゃね。
そうです。 だから 徹子さんが
一番わかっていると思うけど
人の出会いも財産ですよね。
そりゃそうですよ。
ねえ。
お金とか 高いものじゃなくてね。
それから 津川雅彦さんなんか
本当に そうでしたよね。
いや 本当に そう。 だって
津川さんの食事会 なかったら
俺 徹子さんと ご飯なんか
食べていませんもん。
そうですよね。
もう だって こっちは
いつも
テレビで見るばっかでしょ。
こうやって
みんなで楽しく話せば
徹子さんの話 面白えなとかね。
だから
ああいう出会いがなければ
徹子さんにも
お会いしていないし。
こんな楽しいお話も
できませんでしたよね。
俺 徹子さんに寄付したんですよ。
ええー! それ また…。
あっ ユニセフに?
徹子さんに寄付したの。
うん。 私のユニセフにね。
振り込み 教えて頂いて。
ええ。 そうそうそう。
覚えていますか?
覚えていますよ。
そうおっしゃっていましたね
そういえばね。
その額は今 言いませんから。
えっ?
言いませんから 額は。
ありがとうございます。
いやいや 大金ですよ。
そうですね。
あれが アフリカの子供たちの
役に立ったと思ったら
俺 うれしい。
まあ それは
徹子さんのおかげだけど
立派な事もしたなと…。
よかった。
ありがとうございます
もう 本当に。
でも お子さん3人 みんな
いくつぐらいなんですか?
上は35。
そんなに大きいの?
女の子で。
次が なんだか… 次が32。
それで その下が31ですね。
女 男 男ですね。
ええー。
じゃあ 男の子2人が大きいの。
そうです。
だけども
地方に住んでいますから
全然 会っていない。
でも 次男は
プロのサッカー選手なんだって?
そうなんですよ。
ギラヴァンツ北九州。
今はね。 その前は
清水エスパルスにいて。
ええー。 すごいじゃ
ありませんか。
すごいですね。
アジアカップ 出たり。
ええ。
でも あれですよね。
子供たちの教育には
熱心で…。
それはね 徹子さん
あのね 勉強の事は
何一つ言った事ないです。
勉強しろとも言った事ない。
ただね 宿題を忘れて…
やらないで行って
学校で先生に
「おい 立ってろ」って言われて
立たされて なんともない
強いメンタルがあるなら
宿題だって
やんなくていいんじゃないって。
ただ 立たされて
宿題やればよかったな なんて
情けないんだったら
宿題ぐらいは やっていけよって。
それぐらいですね。
いいお父さんだね。
あとは
ウソつかないようにねって。
あとは 金 稼げよ 将来。
フフフフ…。
本当ですよ。
本当に おかしい。
あなた お金の話の時に
手が すぐ こう丸くいくのは
すごいですね。
稼げよとか こうなっちゃうのが。
私 あんまり そういうの
見た事ないから驚いちゃう。
なんか そういう話になると
早いのね このお金に…。
今度は 徹子さんの舞台も
ぜひ 呼んでくださいね。
もう 座長の言うとおり
芝居しますから。
フフフフ…。 いえいえ…。
ハハハハ…。
お孫さんが6人いらっしゃって。
ねえ。
今 おいくつなんですか? あなた。
私ですか?
ええ。 そう。
4月10日で68になりました。
ええー すごい若いわね。
どっちがですか? 若く見えます?
見える。 若く見える。
本当に。
それから お元気。
声でわかりますよね。
そうですよ。
みんなに言われるんですよ
「元気だね」って。
それは すごい。
もうじき 70でしょ?
そうですよ。
それは すごい。
でも 子供と孫とは
やっぱり 可愛さ 違います?
いやいや 孫は だって
自分の子じゃないですから。
血は つながっているけど
全然 なんか そんな…。
あっ そうなの。 珍しいですね。
みんな 孫の方が可愛いとか
言うじゃない よく。
そんな 孫が可愛いなんて
言っているから
年取っちゃうんですよ。
そうでしょ?
でも あなた
そんな事やっていると
子供たちに
怖いって言われる事ないの?
うちの子ですか? 全然ですよ。
ふーん。
娘なんかね
「はあ?」とか言われて。
なんだ
俺 「はあ?」って言われる
弱い存在なんだなと思って。
フフフフ…。
「お前 なんだ なんだ…」。
「はあ?」。
「ごめんなさい。
今のは取り消しますから」…。
「はあ?」って
徹子さん 嫌でしょ?
それは嫌だ。
「なんとか…」 「はあ?」って。
6月3日から公開する
『太陽とボレロ』っていう映画
あれ 水谷さんが
監督なすったんですってね。
そうです。 水谷組 第3作です。
すごくよかったです
私 拝見したけど。
ありがとうございます。
〈バラバラの楽団員 解散決定!〉
オーケストラのお話で
あなた コントラバスの奏者で…。
難しかったでしょ? 練習。
いやー
難しいんですよ 徹子さん
コントラバスは。
でも とっても
感じ 出ていましたね。
一生懸命 練習して。
まあ ほぼ完璧に弾けましたね。
ギターと違って 押さえる所が
決まってないじゃないですか。
だから 三味線の太ざおみたいに
要するに 音感…
音のあれで押さえるしかないから
すごい難しくて。
芸大の先生に
教えてもらったんですけど。
最初 あれを貼ってもらって。
そりゃそうですよね。
それで こうやりながら。
それが 引きだったら
バレないかなと思ったら
剥がしてくださいっていう…
カメラマンに言われて。
なんだ 剥がすんだって
剥がして やりましたけど。
うまく でも できました。
最初 水谷組の予定では
3~4回ずつ稽古して 撮影。
でも それは
コロナで1年延びましたから
1年4カ月ぐらい
練習ができたから。
コントラバス。
はい。
でも 大変でしょ?
コントラバスって
こんな大きくて こんな…。
そうです そうです。
ねえ。 ドンってやって。
オーケストラ中で
一番大きな楽器ですから 重いし。
そうそうそう。
だから ジャズの人なんかは
またね すてきな…。
いいですけどね。
ジャズのセッションなんかもね。
でも 自宅に
持って帰ってっていうか…
自宅に用意して
おやりになりました? 稽古。
音が響くから… コンクリートの
あれなんですけど。
地下に持って行って 地下で
もう ずっとやっていました。
いつもね 水谷監督に
大体 怒られているんですけど
今回はね
「むーちゃん よかったよ」
「涙 出ちゃったよ」って。
うわー 褒められたと
思って。
よかった。
あっ ここのとこね。
これ 水谷さんとなの?
そうですね。
なんか
違う生き物みたいですね。
指揮者の ほら
頭ですからね。
水谷さんも すてきな指揮を
なさっていました。
こう 老指揮者の役でね。
うん。 そうそう そうそう。
しかも 徹子さん
ベートーベン 『7番』と
『ボレロ』と 吹き替えなしで
弾いたんですから。
あっ そう。
あら 吹き替えなしなんですか。
吹き替えなしなんですよ。
すごいです。
だって 『ボレロ』なんて
随分 大変じゃないですか。
いや 大変なんですよ。
「バン ババババン」。
ずっとでしょ? で 最後
「ウィーン ララララ バン」って
終わるんですけど
それ 吹き替えなしで。
あっ すごい。
最初の水谷監督のコンセプトが
今回は 本人で
やってもらいたいんだよねって。
だから その間
一生懸命 練習して。
まあ ほぼ完璧に弾けましたね。
水谷さん
なんておっしゃっていました?
弾いて?
うん。
いや だから それはね
本当に頑張って みんな…
私以外もそうですけど。
本当に みんな 楽器の練習
頑張ってくれたんだねって。
なぜなら
本番のシューティングの時に
弾けなければ
なんだ 結局 1年あったって
練習なんかしてねえんじゃねえか
っていう事じゃないですか。
そう。
でも それ ちゃんと 徹子さん
弾ければ あっ
ちゃんと練習してくれたんだな
俺の映画のために
ありがたいなっていう事ですから
すごく喜ばれていました。
あっ そう。
でも あなた 本当にね
こうやって こうやって
しょっちゅう この親指が出るの
すごいね。
お金のこれと。
3つしか やっていないじゃない。
「3つしか やっていない」…。
これと これと これと。
ハハハハ…! ハハハハ…。
フフフフ…。
いやいや いやいや…。
でも 本当に勉強になりました。
音楽に
俺 今まで接していないから。
あっ そうですよね。
美術には接してますけど。
絵 描いたり 彫刻ね。
音楽の世界には
何も精通していないから
本当に ああー
もっと若い… 小さい時から
楽器をやっていればよかったなと
思いました。
まあね。
うん。
まあ あとで本番…
ご覧になれば わかるけど
いい指揮者も出てくるしね。
そうですね。
面白かったですね。
すてきでした 皆さん。
そうそう。 でも まあ
人生の節目節目で
いい出会いに恵まれたって
本当に
思っていらっしゃるんですって?
それは自分でも感謝していますし。
それはね 津川さんにも
徹子さんにも 松方さん…
みんなね… 武さんでも… 会えて。
だって 会えない人は
一生 会えませんよ。
まあね。
「黒柳徹子さんに会った事ある?」
「ない 俺は」 「そうだろ?
俺なんか しょっちゅう
飯 食ってたよ」。
そういう事でしょ?
うん。
それは 出会いですもん。
出会いに恵まれた理由は
なんだと思いますか?
なんだろう? やっぱり
私に何か魅力があるんですかね。
そうでしょう きっとね。
フフフフ…。
ハハハハ…!
フフフフ…。 そんな…。
あれ? まさか 終わりの音楽じゃ
ないでしょうね?
これ 終わりよ。
耳 いいわね 随分。
これで 上が終わって
あと この後に下を撮りますから。
で これから挑戦したい事は
何かありますか?
映画でも ドラマでも
舞台でも やっていきたいなって。
死ぬのは舞台の上で死にたいと…。
なるほどね。 わかりました。
ありがとうございました もう。
本当 ありがとうございました。
つまんない話ばっかりして
すいません。
『徹子の部屋』は
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