出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 娘が語る…赤塚不二夫と井上ひさし[解][字]
~赤塚不二夫と井上ひさし…娘が語る“創作の巨人”秘話~赤塚りえ子さん&井上麻矢さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
漫画家・赤塚不二夫さんの娘・赤塚りえ子さんと、作家・井上ひさしさんの娘・井上麻矢さんがゲスト。
◇番組内容
赤塚不二夫さんと井上ひさしさんは大変親しかったらしいが、その娘同士であるりえ子さんと麻矢さんも親しい間柄。そんな2人が、それぞれ父の素顔を語る。1980年代に父たちが『徹子の部屋』へ出演した時の懐かしい映像とともに、黒柳さんが語る2人との当時のエピソードにも娘たちは興味津々。一方で両親の離婚なども経験、お互い有名人の娘として苦労も多かったと明かす。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- お二人
- お父さん
- 劇団
- 小学校
- 赤塚不二夫
- 麻矢
- 面白
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)漫画家 赤塚不二夫さん
左側です。
作家 井上ひさしさん 右側です。
大変 仲の良かった
お二人ですけど
お嬢さん同士も
仲が良かったそうです。
今日のお客様は
赤塚不二夫さんの長女
りえ子さんと
そして 井上ひさしさんの三女
麻矢さんです。
まあ 父の日も近いという事でね
お二人には 偉大なお父様のお話を
伺いたいと思いました。
よろしくお願い致します。
お願いします。
それから まあ
私も あなた方のお父様とは
NHK時代に
よくお会いしたりなんか
していたんで
そんなお話も 一緒に ちょっと
できるかなと思っています。
赤塚不二夫さんの代表作は
『おそ松くん』 『天才バカボン』
『ひみつのアッコちゃん』など
まあ 大変な作品を
お残しになりましたが
2008年に
お亡くなりになって
72歳でいらしたんですね。
そうですね。
それから
井上ひさしさんは
まあ 小説家でいらして
直木賞作家でも
いらしたので
ご本 たくさんあるんですけど
劇作家でもいらして。
でも みんなの知っているのは
『ひょっこりひょうたん島』。
♬~「ひょっこりひょうたん島」
…ですね。
黒柳さん
『ひょっこりひょうたん島』でも…。
あっ そうそう。
お声で…。
出ていました。
なんか 魔女の声で ずっと…。
そう。
2010年にお亡くなりになって
75歳でいらっしゃいました。
それで 赤塚さんの漫画
『ひみつのアッコちゃん』の主題歌。
これ ねっ。
赤塚さんの漫画で
それで 作詞が…
今の作詞が井上さんっていうね。
お二人の共作
という事ですけれども。
こんなの珍しい写真。
私 初めて見ました。
ねっ。 赤塚さんと
井上さんとが…。
ええー。
随分 楽しそうな
写真です。
いい写真ね。 ええー。
1歳違いという事で
同世代で仲が良かった
という事で。
りえ子さんは
フジオ・プロの代表で。
はい。
麻矢さんは
劇団こまつ座の代表。
はい。
お嬢さん同士の関係は
対談で出会って
意気投合したんですって?
はい そうなんです。
父の劇団を継いでいて
その父の劇団で
プログラムを
作っているんですけど。
そのプログラムに
『父と暮せば』という作品の中で
お父さんを語るっていう対談が
ありまして。
そこに りえ子さんを
ぜひ お願いしたいと思って
お話をしたら
ご快諾頂いたっていう感じで。
あっ そうなんですか。 ええー。
それからのお付き合いですよね。
そうですね。
ああ そうなの。
お互いのお父様の貴重な映像…
赤塚さんは
9回 出て頂いたんですけど。
ちょっと見せて頂きます。
「うちに菊千代っていうね
猫がいるんですけどね
これがね 今ね 僕よりね
稼ぐぐらいなんだよね」
「フフフ…。 なんか すごいね」
「猫って 普通
こんなふうなふうに
上向きになっちゃったりなんか…
こんなふうに寝ないんだって」
「これが バンザイさせると
すぐね やるんです」
「ハハハ。 教えたの?
それとも 初めから…?」
「最初からね うちに来た頃からね
なんかね こう…
変に伸びようとするんだね
こういうふうにね」
「何しようとしているのか
わかんないけどね」
「で こういうふうにね
伸ばしてみたらね
バンザイしたんですよ」
「ハハハハ…」
「それからね
“バンザイ”って言うとね
自分から手を伸ばしてね
やろうとするんだよね」
「猫はコマーシャルなんか出ると
出演料も ちゃんと もちろん
おもらいなるっていうか
ちゃんと
銀行の口座があるんですって?」
「あります。 菊千代のためにね
通帳を作りましてね」
「で ここに…
今 持っていますけどね」
「ええ」
「これ」
「ハハハハ…。 ちょっと…」
「で 銀行でね…」
「赤塚菊千代だって」
「そうそうそう」
「銀行で この通帳 作る時にね
なんかね 芸者さんと
一緒になったんじゃないかなんて
言われた」
面白いわね。 フフフフ…。
で あと
その当時 CMとかで
父と菊千代の出演がありまして。
で 父より菊千代の方が
稼ぎがあって。
で 出演料も高くて。
で 菊千代が 結構…
だんだん 預金もたまってきて。
で 父が飲み代にね 困った時は
借用書を書いて 菊千代から
お金を よく借りていました。
あっ こういう
『花の菊千代』っていう絵も
描いていらしたの?
はい。 漫画もありました。
ええー。
「大金持ちのネコなんニャ」って。
フフフフ…。
19年 生きました。
えっ?
19年 生きました。
19年 生きていたの?
でも りえ子さんは
ひと言で言って
どういうお父様でしたか?
とにかく楽しくて
で 可愛いんですよね。
で 自分の漫画と私生活の
ギャップがないっていうか
自分が 漫画の世界に
いるような感じで
晩年は
バカボンのパパみたいな
そういう感じでした。
あなたのお母様がアシスタント?
そうなんです。
母が 父の女性アシスタント
第1号になりまして
で 出会って半年後に結婚して。
ええー。
それで その半年… 約半年後に
『おそ松くん』と
『ひみつのアッコちゃん』を
スタートしました。
すごいね。
で ずっと 母は だから 父の…
私が生まれるまでは
仕事に関わっていたんですけど
なんか 母って ものすごい
ギャグセンスが抜群で。
なんで 父とは
すごい仕事の上では
すごい いいパートナーだったと
思います。
井上さんは
お家では どんな感じでした?
もう ほとんど
書斎から出てこないので
家にいても会わないんですよ。
で 廊下で こう すれ違うと
「どうも」なんて
挨拶なんかしたりするような…。
フフフ…。 「どうも」なんて?
ちょっと変わった家族だったとは
思うんですけど。
それが まあ
家では当たり前なので。
父は とにかく…
書斎にいるか たまに出てきて…
ひどい格好で出てきて
1週間分ためた垢を落としに
お風呂に入っているか
本を読んでいるか
それぐらいでした。
なるほど。 面白いわね。
でも 一緒に浅草に 寅さんなんか
見にいらっしゃったんですって?
はい。 封切りですね。
今でいう
ロードショーがかかる時には
寅さんだけは欠かさずに
家族で見に行っていて。
で 寅さんの冒頭の夢のシーンとか
大笑いしている父を…。
ハハハ…。 あそこ 面白いもんね。
はい。 そういう姿が
唯一 ホッとできる
私たちの家族の時間だったんで
普通のお家みたいに お父さんと
いつも一緒にいるとか
そういうのは
あんまりなかったなと
記憶しているんですけど。
でも カメラが好きで
よく あなたの事
写真に撮ってくだすって
いたんですって?
不機嫌な時とか
笑っている時とか
とにかくカメラを持って
色々 こう…
私たちのあとを
追っかけてくるんですけど。
たまに
変な人に間違えられて
通報されちゃったりする事も
あったりするぐらい
カメラが趣味でしたね。
あっ そう。
井上ひさしさんには
『徹子の部屋』
4回 出て頂いたんですけど。
その中の映像を
ちょっと ご覧頂きます。
「昭和… あれは38~39年だと
思いますけどね」
「ですから
今から20年近く前ですけどね
黒柳さんが騒いでいたのは
パンダなんですよね」
「ああー。 あの頃で もう…」
「うん」
「“パンダって可愛い”って
おっしゃるんですけどね
誰も パンダ知らないんです
当時は」
「それでね
絵に描いてくださるんですけどね
目が黒くてね
どうも 我々は
ピンとこなかったんですけども」
「あれから10年ぐらいしてですね
パンダブームになってたのね」
「早かったですね。
昔から お好きだったんですか?」
「子供の時から
調べていましたんで」
「偶然 縫いぐるみをね
おじから もらって
それから調べていました」
「ああ そうですか」
「僕 あの先見の明には ちょっとね
びっくりしましたよ」
「いえいえ」
「そういう時もありまして
面白かったです あの頃は」
フフフフ…。
わあー すごい。
私が知らない時の黒柳さんが…
父が
黒柳さんと会っているのを見ると
とても懐かしいです。
そうですね。
そう。
あのね 井上ひさしさんはね
何かに書いていらしたの
読んだんだけどね
NHKの向かい側のスタジオで
録音 録って
井上さんのもののラジオだか
テレビの声をやるのに
私 行っていたんですよね。
そこに どういう訳だか
ラーメン屋さんが入っていたんで
私 ラーメン食べていたの。
そこで ラーメン食べながら
ちょっと
やったりなんかしていたら
あとで井上さんが 何かに
「すごいスターだと
思っているのに
ラーメン食べるんだ」って
書いてあった。
とってもおかしかったの
それが。 そうそう。
赤塚不二夫さんと私は
テレビ朝日で…。
もう すごい昔ですが
私はNHKの専属でありながら
頼まれて テレビ朝日に出て
クイズの番組に出た時
ご一緒だったんです
お父様と。
『海賊』…。
そうそう。
『海賊クイズ』っていうのが。
それで お父様は
海賊の格好してね。 フフフフ…。
そこで 赤塚さんとも
ずっと ご一緒でした。
それが だから 随分 早く…
若い頃ですね。
まだ NHKの
専属だったんですから 私。
お会いしたのはね。
お互いのお父様を どんなふうに
お思いになるかしら?
りえ子さんは どうですか?
井上先生の…?
私 井上先生に一度 実は
お目にかかった事がありまして。
井上先生が 90年代だったと
思うんですけれども
入院されている病院…。
はい はい。
なんか 入院しましたね。
ですよね。
そこに 父と一緒に
お見舞いに行きまして。
で うちの父が
「これ うちの馬鹿娘」って…。
いつも 馬鹿娘って
紹介されるんですけど。
「これ うちの馬鹿娘」って言って
お父様とご挨拶させて頂いて。
あっ そう。
はい。
それ…
先生とお目にかかったのは…
井上先生とお目にかかったのは
その時だけなんですけれども。
でも やっぱり
ああー 井上先生だって
心の中ではワクワクしながら…。
でも こう
普通に娘としては…。
赤塚さんとは どんな話
していらっしゃいました?
全然覚えていないんです。
あっ そうなの。
全然覚えていないんです。
でも すごく
井上先生と
うちの父は親しく…
親しくして頂いたんで
うちの父は。
だから すごく
フレンドリーな感じで。
私は 赤塚先生には 多分
お会いしていなくって。
ただ バカボンのパパって
すごいなって
いつも思っていて。
「これでいいのだ」で
全部 終わらせてしまうところが
かっこいいなって。
なんか 色々…
色んな事を言うんじゃなくて
誰かが失敗しても
誰かが すごい事しても
「これでいいのだ」って…。
そうそう。
ひと言で終わらせるとこが
男っぽい人だなと。
今でも バカボンのお父さんは
やっぱり すてきなお父さんだな
と思って 見ています。
そうよね。 本当に
「これでいいのだ」って
言っちゃえば
それで終わるんだもんね
何が起こっていてもね。
そうですね。
「これでいいのだ」って。
実際のお父様は
そういうとこ ありました?
「これでいいのだ」みたいな。
そうですね。 うちの父は
否定したりとか
そういうのよりも
全てを受け入れる
そういうところから…。
お二人のお父様の共通点って
あると お思いですか?
共通点?
共通点?
破天荒なところですかね?
なんですか? りえ子さんは。
どうでしょう。 やっぱり…。
お父様 結構 破天荒な方…。
表面的には 全然
破天荒に見えないんですけど。
でも 物を作る事に対しての…
なんだろう?
破天荒ぶりは やっぱり
赤塚先生と似ているかもしれない。
そうですよね。
なんか すごく こう…
父は自分の好きな事に
本当に真っすぐで。
で ああいうふうに
見えるんですけども
すごい そこは
ものすごく真面目で。
だから ふざける事にも
すごく真面目で。
で 真面目に
ふざけていない人には
「もっと真面目に
ふざけなさいよ」って
怒っていました。
そうね そうね。 そう。
でも 有名人の娘っていうので
大変だった事は ありましたか?
そうですね。
私は作家っていう職業が
まだ 小学生ぐらいだと
誰も わからなくて。
説明するのが うまくできなくて
ちょっとめんどくさくなりまして。
その当時 一番夢中になってた…
縄跳びだったんですけど。
縄跳び屋さんとか…。
フフフフ…。
八百屋さんとか
すごくウソをついていたんですね。
で ある時 小学校で
お父さんの職業の絵を描きなさい
っていった時に
困ってしまって。 ずっと
机に座っている父を描くのは
面白くないなと思って
縄跳びをしている父を描いて。
「縄跳び屋さんだ」と言って
先生に大変叱られました。
あっ 叱られたの?
はい。 すぐわかっちゃって。 はい。
先生は ご存じだったのね
きっとね。
多分 そうだと思います。
あっ そう。
そういう事ありました?
りえ子さん。
私は なんか 学校では…
小学校の時は みんな
赤塚不二夫っていう漫画家が
父親だっていうのは知っていて。
ただ 小学校 上がった時には
もう 父は家にいないし
離婚したあともあったので。
だけど 学校では
「お父さんのサイン
ちょうだい」とか言われたり
先生に 「じゃあ
赤塚さんのお父さんに
漫画の描き方
教えてもらいましょうね」
なんて言って。
私 「はーい」なんて
言っているけど
ものすごく切なくて。
困っちゃう。
父がいないもんですから。
そうだわね。
それは… うん。
ちょっと切なかったですね。
ねえ。 何歳の時に
離婚なすったんですって?
8歳?
8歳の時なんですけれども。
でも もう
ほとんど 家に帰らないのは
小学校 上がる時には…。
あっ その前からね。 そうですか。
お父様との写真で
好きな1枚っていうのを
選んで頂いたんですけど。
ちょっと 見せて頂けるかしら?
あっ 赤塚さん? これ。
はい そうです。
これは 父と再会して…。
まだ すごい よそよそしく
お互い
照れているんですけれども。
で 初めて
じゃあ デートしよう
っていう事になって。
映画を見たあと そのあとに
椿山荘で ご飯を食べまして。
それで その時の
写真なんですけれども。
なんか すごく
この時の事を覚えていますし
本当に 私 やっぱり
ものすごい
うれしかったんですね。
ずっと恋しかった
父と一緒に…。
ねえ。
はい。 で なんか この写真
ちょっと 顔も
親子で似ているので…。
フフ…。 本当ね。
すごく好きです。
それで お父様も機嫌よく?
はい。
すごい恥ずかしかった
みたいですけど。
あっ そう。
この時に 私
エスカルゴを
初めて食べたんですね。
で 私が 「おいしい これ」。
「ママにも食べさせてあげたい」
って言ったのが
実は ものすごく
こたえていたみたいで 父は。
そうだわね。
私は すごい ああー パパって
こういう珍しいものを食べる
こういう世界の人なんだな
っていうふうに
思っていたんですけれども。
でも いつも食べていたとは
私は思いません。
父はね 割と庶民的なので。
そうだと思います。
でも あなたに きっと
そういうものを食べさせたいと
お思いになったんでしょうね
きっとね。
たまにしか会わないんだから
っていう事でね。
そうですか。
井上麻矢さんは
お父様の写真で好きなのは…。
出ますかしら?
お父様との写真で。
これは 結婚式…。
あなたの?
はい そうです。
…時に 一緒に
歩いてくれたんですけど。
全く そういう事をする父親だと
思っていなかったんです。
「結婚式なんて とても
くだらない」と言っていて。
「その結婚式をするお金が
あるんだったら
2人の未来のために
使えばいいのに」。
「こんな
みんなに見せるようにして
結婚式をするっていうのは
どうかな」なんて
反対していたのに
一番ノリノリで
歩いてくれたんです。
腕なんか組んで?
はい。 だから 全然 こう
意外に
うれしそうだったので…。
本当ね。 だって 本当に
笑っていらっしゃるもんね
うれしそうにね。
逆に私の方が ちょっと…。
うれしかったんだなって思って
びっくりしちゃった…。
ねえ。 かわいそうに。
複雑な心地に
なっちゃいますよね。
なったんですね。 はい。
とても楽しい…
バージンロード
っていうんですかね。
楽しいバージンロードだったな
って
今 振り返ると… 思うんです。
少なくとも この写真 見たら
本当に お幸せそうですものね。
はい。
でも きっと この時は本当に
この写真のとおりだと
思いますよね。
はい。
お父様も お元気で。
はい。
あっ そうだ。
麻矢さんは小学校2年生の時に
私と…。
そうなんです。
お会いになったって どうして?
父のお芝居を見に行ったら
黒柳さんが いらっしゃっていて。
で 確か 私の斜め前に
座っていらっしゃって。
私が斜め後ろだったんですけど。
振り返って 私を見て
「あら そんな小さなお嬢さんだと
見えないんじゃない?」って
言って
「私のお膝にいらっしゃい」って
言ってくださって。
ええー!
それで お膝に乗せて頂いて
1幕を見るっていう
とても貴重な体験を…。
そんな事を?
はい。
で 私 お芝居を見ていいのか
座らせて頂いている
黒柳さんのお顔を見ていいのか…。
とても美しくて。
どっちも キョロキョロ
キョロキョロしていたら
「前を向きなさい」って
おっしゃってくださいました。
フフフフ…。
でも 私も あなたが
井上さんのお嬢さんって
知らないででしょ? それは。
全く知らなくて。
ただ 小さい子がいたから
見にくいだろうなと
思ったんでしょうね きっと。
1幕 終わったあとに
「静かに見てて偉かったわね」って
褒めて頂きました。
あら そう。
いい人だと思ったでしょ?
はい。
あっ そんな事があったの。
ありました。
あら。 それ 知らなかったな 全然。
生きていたらね 井上さんに
教えてあげるんだったのにね。
でも 父に帰って お話 したら
それは黒柳さんだろうと
すごく感謝して
「君は ものすごい
今日は幸せな日だったね」って
言われました。
あっ 本当に? あっ よかった。
うれしいわ。 そうですか。
麻矢さんが18歳の時に
離婚なすったんですって?
そうですね。 18歳の時です。
その時 お父様の事を
嫌いになった事も
あったんですって?
はい。 いやー… 18歳ですから
ちょっと 親の色んな事情は
わからなくて。
そうですよね。
はい。
どうしても ああいう時は
お父さんよりも
お母さんを守らなきゃ
という気持ちになって。
今 考えると
父に ひどい事を言ったな
と思うんですけど。
父を どちらかというと
自分から遠ざけていたので
言いたい事 言っていました 父に。
あっ そうなの。
目の上のたんこぶみたいな
存在だったと思います。
でも そのあとに
あなたに お父様から
劇団の代表になってくれっていう
お話があったんですって?
随分あとになってから
「劇団をやりなさい」って
言われたので。 はい。
あの時…。
今も やっていらっしゃるの?
今も やっています。 はい。
まあ なかなか大変だと
思いますけどね。
大変ですね。 こんなに大変だと
思わなかったです。
ねっ。 本当ね。
赤塚さんは あれですか?
りえ子さんは
お父様 100点満点ですると
何点にします?
私は100点満点をあげたいですね。
そう。
はい。
いいです。
はい。
麻矢さんは?
私は あの…
本当は お父さんとしては
あんまり いい点は
あげられないんですけど
人生の先輩としては
もう100点満点以上だなと思って。
お父さんとしては低いんですけど
自分の… なんていうんだろう?
大人としてのお手本としては
100点満点だなと思っています。
お二人様 100点 頂きましたよ。
フフフフ…。
赤塚さん 井上さん
100点以上ですって。
お嬢様たちが
おっしゃっていますよ。
聞こえていますか?
でも いらっしゃらないのは
本当に寂しいわね。
そうですね。
会いたいわね。
会いたいです。
私も会いたいわ 2人に。
つくづく そう思います。
まあ 若い時だったけどね
色んな事を刺激し合った
仲間みたいな感じがするので。
で とっても お二人とも
優しくて いい方だったのでね。
やっぱり
お仕事を続けていけるようにね
お二人とも 頑張ってください。
ありがとうございました。
本当に 今日は
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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