出典:EPGの番組情報
インタビュー ここから「俳優 中原丈雄」[字]
熊本県人吉市出身の俳優・中原丈雄さん。俳優として芽が出ない日々、ふと目にしたふるさとの風景が支えになったという。そして、水害にあったふるさととどう向き合うのか。
詳細情報
番組内容
連続テレビ小説『ちむどんどん』に出演中の俳優・中原丈雄さんがゲスト。中原さんは、熊本県人吉市の出身。俳優を目指して上京するものの、アクセントの違いに悩まされ、なかなか芽が出なかった。先が見えない日々が続くなか、中原さんの支えになったのが、実は、ふるさとの風景だったという。そして、2年前の水害で傷ついたふるさとと、いまどう向き合おうとしているのか。熊本県出身の稲塚貴一アナウンサーがインタビューした。
出演者
【ゲスト】俳優…中原丈雄,【きき手】稲塚貴一ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
何で こんなとこで食ってんだい。
別に。
何かちょっと懐かしくて。
俳優 中原丈雄さん。
大河ドラマなど 数多くの作品に
出演してきた名脇役です。
(高梨内記)間に合いましたな。
内記。 ようやくこれで 城持ちになった。
中原さんが 今 力を入れているのが…
一度は離れた ふるさとと
今 どう向き合っているのか聞きました。
ここが 中原さんが育った
熊本県人吉市。
山に囲まれた人吉盆地の中を
球磨川が流れています。
僕らはね あそこに鉄橋が…
見えますね えんじ色の。
それで 昔 渡し船があってね
船頭さんがいて
それで 対岸のこっち側の あれまで
渡ってくるんですよ。 船頭さんがね。
舟につかまって黙って…。
ハハハハ。
それで行って で また向こうから
来る時に つかまって。
で 途中で離して
途中で泳いで帰るんですけどね。
う~ん。
今日は 中原さん
カメラをお持ちになってて…。 ああ。
観光客のような。
そう。 カメラが好きで。
まあ 何かいろいろ…
なかなか東京にいて思い出すっつっても。
今 撮られました?
ええ 撮りました。
あんまり のぞかずに撮りましたね。
ハハ のぞかず…。
もう のぞかないでいいんですよ。
ああ じゃあ ほんとに
すっかり おなじみの風景なんだけど
それでも 写真を撮りたくなる
景色なんですね。
しかし 2年前
ふるさとの風景が 一変しました。
熊本を襲った記録的な豪雨で
球磨川が氾濫したのです。
中原さんが 子どもの頃
家族と一緒にお参りに来ていた神社です。
こんにちは。
こんにちは。
鳥居の前に架かる橋を
中原さんは 何度も渡ったといいます。
その橋の欄干も流されました。
今 修復工事が行われています。
人吉の街は
何度も水害に見舞われてきました。
これ 昭和40年って 1965年って
書いてあるけど
僕は14歳ですから中学。
中学生の頃。
昭和40年7月の水害。
人吉市内の市街地のおよそ3分の2が
水に浸かりました。
当時 中学生だった中原さんが
住んでいたのは 球磨川のそばでした。
僕のところはね ちょうどほんと
この辺りなんですけども。
この辺りにお住まいだった?
ええ。
その時も 本当に足元まで…
危なかったですね。
はい。
これがね あの…
橋に当たり どこに当たりしながら
行くんですけどね…
でも…
こんな感じに また戻っていって…
怖いけど やっぱりどこか
好きだっていう思いを
捨てることができない。
そんな 相反するような思いが
あるんでしょうかね。
もう それほど…
僕らは 子どもの頃に
そこで泳いで魚釣りをしてっていう。
だから なかなか逃げないんですよね。
ずっと前から持ってらっしゃるんじゃ
ないでしょうか。
代々ね なんか…。
球磨川と人吉城跡をモチーフにした
一枚の絵。
中原さんが描いたものです。
絵画の経験は 40年以上。
何度も個展を開いてきた中原さん。
この絵は 実際の風景に
自らの心象を重ねて描いたといいます。
今は 地元の施設に展示されています。
僕は あの…
え? 初めてですか。
初めて。
初めて 僕の中でこの ふるさとを
描いた絵なんですよ これね。
そうなんですか。
はい。
あまりにも…
でも ほんとに…
あの 何でしょうかね…。
絵に してみて…
あ~ やっぱり 僕の…
しかし 子どもの頃の
中原さんが見ていた ふるさとの風景は
今とは
違った見え方をしていたといいます。
僕はあの この…
実は早いんです。
小学校。
小学校の時から
まあ あの 盆地ですからね…
これはもう
当たり前のことなんだけども。
今日ね 見たら 意外と山って
遠く感じたんですけども。
遠いですよね。
あ じゃあ すごく狭く見えたんですか。
ええ。 もうそれで それとやっぱ…
まあ 山の向こうには
また山しかないんだけども。
ほんとに 山の中ですからね
人吉っていうのは。
いろんな文化が ラジオからとか
方々から流れてくるんですよ。
自分が ふだん生活するものと
全く違うんですよ。
しかも これまで入ってこなかったものが
一気に流れ込んできた。 はい。 ええ。
映画は 全盛の頃だし
人吉は 今 映画館が
一軒もないんですけども
僕らの子どもの頃っていうのは
5館ぐらいあったんですね。
それで 毎週 その
出し物が変わるんですよ。
ええ。
そうすると そのたんびに
親というよりも近所の人が
一緒に連れていってくれるんですね。
何がすごいって…
食事をする場面が。 はい。
ええ ええ。
それを見ててね
スクリーンもでかいですからね
こんな大きいスクリーンで…
アハハハ。
それ見て おなかが
グーグー鳴るわけですよ。
ええ ええ。
それで…
それがね 実は…
で 俳優になりたくて
東京を目指すわけですね。 はい。
でも 一緒に遊んだお友達は
引き止めたでしょ。
そうですね。 やっぱり あの
え 何で東京行くの?
みたいなことですよね。
こっちにいればいいじゃないか
みたいなことを言うんだけど
だめなんですよ。
大学進学を機に 上京。
21歳の時に
劇団に入りました。
そこで 中原さんを悩ませたのが
ふるさとのことばだったのです。
後輩たちにも追い抜かれ
舞台に立つこともできない日が
続きました。
ある時に
劇団入って 間もない時ですね。
事務所にいたら 電話がブーブーと鳴って
みんな電話してるもんだから
中原さん
ちょっと出て下さいよと言われて
はい 分かりましたって。
「もしもし もしもし」って言ったんですよ。
そしたら電話口で「誰だお前は」って
言われて 「中原です」って言ったら
お前な 電話での
「もしもし もしもし」って お前…
…って言われて。 それで
「すいませんでした」って言って。
怒られちゃったんですか。
怒られたの。
それで だから ふだんもやっぱり
相当なまったことばを
しゃべってたと思うんですね。
みんな笑ってました。
フフフフ。
笑われてたんですか。
僕が しゃべると。
ええ。
劇団で ことばで仕事しなきゃいけない
俳優にならなきゃいけないのに…
それは ストレスですかね 怖さ?
う~ん まあ
怖かったですね。 だから 何か口きくと
何か言われるっていうことの思いが
なってくるんですよ。
だんだんその もちろん…
で 最後に まあ
年数だけはいるわけですよ。
今 どっしり構えた気持ちで
いらっしゃると思うんですけども
そうなる前は ほんと ふるさととの関係で
悩み苦しまれたわけですね。
ええ。 あんだけ憧れて…
だから そういう気持ちで
田舎に帰ってくるんですよ。
母と2人でいた時も
帰ってきたことは誰にも…。
もちろん 母も分かってるから
何も言わないで 黙って2人で
何日も何日もいましたよ。
どうしてですか。
何か まだ自分が
ちゃんとした そういう仕事とか俳優に
なってないっていう 何かこの…
そういうものが やっぱ
どっかあるんですね。 あったんですね。
年は同じだけど 会えないっていうような
そういう気持ちになるんですよ。
先が見えない 東京での日々。
ふるさとで ふと目にした光景が
中原さんの支えになったといいます。
人と会わなくても 例えばこの…
…流れてるっていう。
だからね そういう…
でも…。 でも…
だからね 何かあの…
自分がここを…
川やお城や山に向かって頑張る。
この次には もうちょっと違うところに
いるようにしようというような
そういう気持ちに
なっていくんですね。 だから…
…なれるんですよ。
助けてくれたですね。
何があったんですかね
その心境の変化。
180度逆ですよね。
嫌だった ふるさとの風景が
自分を応援してくれてると感じる。
なんでしょうかね。
僕が もしかしたら…
というふうなのは どっかに…。
だから 変わらないでいてくれて…。
う~ん 違うかなあ。
分かんないですけどね
やっぱり あの
苦しい つらい気持ちで
帰ってくるんですよ。
自分は もちろん ことばで苦しんでるから
舞台にも立てないし でも…
ことばじゃなかった…
要するに…
…っていう そういう
それが ことばだったりなんか
するわけですけども
そういったところの体の疲れや
分からないとこで
持ち込んできた 東京へ。
それを捨てなきゃいけないとか
それが やっぱり
いっぺんじゃできない。
何か だんだん重くなって
苦しみになってきたりみたいな。
というふうに 自分がそっちの方に 誰かが
向かわしてくれるんじゃないでしょうか。
俳優として歩んでいけると
確信できたのは
50を過ぎた頃だといいます。
(銃声)
今 中原さんは 地に足のついた
土地に根ざして生きる人の役を
演じたいと考えています。
2年前
ふるさとを記録的な豪雨が襲いました。
しかし コロナ禍にあって 中原さんは
人吉には すぐには戻れなかったのです。
行って じゃあ どこ行って
何をすればいいんだろうっていう。
住んでない…。
何か それでみんな
そこで思って 駆けつけるわけですよね。
それができない自分がいるっていう。
やっぱり それは
ものすごく きついことばですよね。
大変な 今 ほんとに
どうしようっていう人に ねえ
東京にいて 何もしてないのに
頑張って下さいっていう そのひと言が
いいのか悪いのか。
これは やっぱり言い方がね
どういう言えばいいのかっていうことを。
どんなことば かけていいか
分からないですよね。
いや もう ほんとに分かんないですよ。
…っていうことを
思ったりなんかすることがありますよ。
だからね この絵を描かせて頂いた時に
絵を見て ご覧になった方が
「ほんとによかったです」って言われて
あ~ そういうことなんだなって
いうふうなことをね 思いながら。
この絵には 何も力はないですけども…
こういうことだったのかななんて
思いながら いるんですけどね。
…ということにもなりますよね。
…っていうことにも
なっていくと思うんですけども。
常に やっぱり…
♬~
今 中原さんは
ふるさと熊本を盛り上げる活動を
ライフワークとしています。
県内のイベントなどで
自ら率いるバンドの演奏を披露。
この夏は 明治時代から続く 熊本県内の
芝居小屋をもり立てようと
一人芝居に挑戦します。
やらなきゃいけない。 だから僕は…
それで…
それはね…
僕の…
僕は あの 決して テレビで
もの しゃべってるからっつって
いい気になってしゃべってない。
まあ やっぱ苦しんでやってるし。
絵だってそうです。
何で描けないんだとか
音楽だって 何で俺が一番リーダーなのに
下手なんだとか思いながら。
でもね そういったところを
見てもらうのが やっぱり…
そうすると 「なんだよ 中原さん
あんだけやってるけど あんだけ…
あ~ そうか そうか
じゃあ 俺もまだ頑張れるな」って
いうふうなことがあるじゃないですか。
だから やりながら その姿を
僕が…
…いるだろうし でも…
♬~
離れたからこそ分かる ふるさとだし
ほんとに こっから
今日 改めて思いましたけどね 見ながら。
ああ…
…ってのがね 感じましたよ。
ええ… ええ。
ほんとに あの
出てってよかったと思います。
そして 戻ってこれて
よかったなと思いますよ。
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